自閉症のM君を含む3人の子どもの父親である、たつのこ仲間の“こたつみかん”さんが平成16年4月からロンドンへ転勤になられました。遥かイギリスの地、異国文化のまっただ中で仕事と療育に果敢に挑む彼の見聞と体験の記録を、こたつみかんさんとかんりにんの力の続く限りお届けします。不定期に更新しますので、お楽しみに。
No.01 ロンドンより第一報〔H16.4.14〕
No.02 NAS (National Autistic Society)訪問〔H16.4.19〕
No.03 おじさんの GW in LONDON〔H16.5.4〕
No.04 家族の英国移住間近〔H16.7.5〕
No.05 こたつみかん一家の渡英事情〔H16.8.11〕
No.06 いざ、学校へ〜英国養護学校入学譚(涙)〔H16.10.16〕
No.07 いざ、学校へ(その2)〜英国養護学校通学譚〔H16.11.18〕
No.08 クリスマスにまつわる風景など〔H17.1.1〕
No.09 パリ&山岳地帯(ピークディストリクト)旅行記〔H17.4.3〕
No.10 ステートメント(案)が来た〔H17.4.16〕
No.11 ロンドンではやりの本〔H17.4.17〕
No.12 7月7日ロンドン同時多発テロ〔H17.7.9〕
No.13 英国人の転職意識〔H17.7.17〕
No.14 化石の村〔H17.8.13〕
No.15 観光案内(英国田舎町)〔H17.9.18〕
No.16 ハロウィンの夜〔H17.11.14〕
No.17 冬のドーバ海峡、シンプルライフ〔H18.1.3〕

No.01 ロンドンより第一報〔H16.4.14〕
 皆様、いかがお過ごしでしょうか?満開の桜も春の到来を告げると言う使命を終え、若葉に道を譲っている頃と思います。子供たちもそれぞれ進学し、新たなタツノコ活動にがんばっておられることでしょう。

 一方、ロンドンは美しく晴れ渡る空が15分後には雨が降り、なんやにわか雨やったんかと思う間もなく、ヒョウが降るという油断のならない気候の中、M君の学校探しの「手づる」を模索していると言う段階です。英国人はイースターホリディとかで休暇を取っており、コンタクトできない状況ですので、とりあえず、ここいらで現況などを書いてみます。

 わたしの現時点でのM君の学校探しの「手づる」は2つあります。一つは児童相談所の田中先生が知り合いの知り合いに聞いて繋いでくれた英国在住の自閉症児を持つ日本人の親御さんです。ホームページを立ち上げて熱心に教育をされておられるのですが、不躾な私のメールにも親切に、「一緒に学校訪問をしましょう、通訳をしてあげましょう」とありがたい申し出をいただいている「手づる」です。もう一つが自閉症協会のメーリングリストで学校探しの窮状を訴えたところ、メーリングリストの参加者のかたがNAS(National Autism Society、日本自閉症協会のようなものですな、また後日報告します)の知り合いにメールを書いてくださり、NASの直接コンタクトできる方と繋いでくださった「手づる」です。クルエラに誘拐された子犬を探索する時の犬たちの協力のように、いろんな方の善意がリレーされています。障害児を囲む目には見えない(定形化されていない)助け合いのチェーンに、私は感謝と感動を覚えます。

 なお、101匹ワンちゃん(実写では101、ワンオーワン)を知らない方に補足をすると、遠い昔のロンドンでクルエラと言う金持ちの女性(実写では山田邦子が声をやってましたな)が計99匹の子犬をあちこちから盗んで監禁して毛皮を剥ごうとします。父犬と母犬がロンドン中の犬たちの協力を得て、子犬の監禁場所から救い出し、クルエラと子分の厳しい追跡をかわして、飼い主のもとにたどり着くと言う名作です。犬をはじめとした動物たちの無償の協力(ボランティア精神)の美しさとこてんぱんな目に合う金持ちのクルエラの惨めさが対照されるストーリです。

 さらに付言すれば、貧乏であった飼い主が「クルエラデビル」というしょぼい歌が大ヒットして金持ちになって(実写ではゲームソフトでしたな)、101匹の犬を飼えるだけの経済力を持っておると話を終わっており、不安感を残さずにビデオのスイッチを切ることができます。わたしもこの映画のように、しょぼい英語能力にもかかわらず、偶然にも仕事がうまく行くことを空想しつつ、ストレスの高い職場(まわりの外人が英語をしゃべっています)で固くなりながら、日々を送っております。それではまた。

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No.02 NAS (National Autistic Society)訪問〔H16.4.19〕
 本日(4月15日)、NAS (National Autistic Society)の事務所を訪問してきました。日本で公演されたことがあるRichard Millsさんと自閉症の学校に詳しいMichael Collinsさんにお会いしました。「M君にふさわしい学校を探すのはどのようにすれば良いのか」と言う私の質問に、Michael Collinsさんが英国での自閉症児の教育システムについて、大変に親切な態度で教えてくれました。非常に重厚でシステマティックなプログラムです。

 まず、地方教育局(Local Educational Authority)とコンタクトして、「自分の子供には特別な教育が必要だと思う」ということを相談します。これが最初の1歩なので、どこに電子メールを書いても、まず「あなたはどこに住んでいるのか」と聞いてくるということに納得がいきました。地方教育局は子供の障害の程度の評価(Statutory Assessment)を行います。これには心理学専門家、言語のセラピストおよび必要によって小児科の専門家が入ります。なんとこの[評価]には数週間(10週間以内)がかかります。この[評価]に要する費用は莫大なので、現実には、症状の軽そうな子供は必要なしとして実施しないことも多いとのことでしたが、M君の場合は大丈夫であると太鼓判を押されました。うれしいような悲しいような。いい忘れましたが、児童相談書の田中先生にM君の診断書を書いていただいてましたので、Collinsさんには最初に目を通していただきました。ちなみに親はこの[評価]にかかる費用を払う必要はないとのことです。

 で、[評価]が終わると地方教育局がそれに基づき、適切な学校および療育についての[提案書](Statement)を作ります。これは専門家および当局の一方的な通達ではなく、子供の評価について適切でない部分があったり、地方教育局の提案する学校が遠方であったりとかの場合には、親は意見を述べることができます。この親と地方教育局との間の「擦り合わせ」にも、一般には、かなりの時間が要るようです。そして合意したら親も署名し、この提案書が最終化されたことになります。この[提案書]の内容は1年間に1回、再評価されます。1年間の子供の発達具合をみて、学校および療育が適切であったかを評価し、適切でないと考えられたら変更していくとのことです。

 Michael Collinsさんはロンドンの自閉症専門の学校(公立および私立)のリストを持ってきてくれて、M君の年齢(9歳)とその場所および彼の知る限りの評判などについてアドバイスをしてくれました。ちなみにNASは学校を運営している訳ですが、そのNAS Schoolは私学なんですね。これらの学校にコンタクトして教育の内容、設備および先生の熱心さなどを見学したく思います。そして、上記の[評価]/[提案書]の中で、親の納得のいく、M君に最適な学校を選びができれば良いなと思います。

 今回のNASの訪問で、英国の自閉症児の学校探しの方法についてはわかりましたが、これからが長くて大変そうな感じですな。前向きに、学校探しを楽しもうと思います。いろんなひとに会ったり、いろんな療育の状態を知るのも面白いでしょう。弱気になったり深刻になったりすると、M君が訪英する前に日本に帰ってしまいたくなるかもしれない。

 では、学校訪問や地方教育局との面談などは後日レポートします。

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No.03 おじさんの GW in LONDON〔H16.5.4〕
 みなさん、ゴールデンウィークはいかがお過ごしですか?英国は5月1日だけ休みで、土曜と重なるので月曜日が休みになり、で、3連休です。まあ観光案内でもしましょうかと。

 まずはナショナルトラスト(National Trast)の説明から入った方が良いかもしれません。古い建物、自然の美しい森、海岸など、ほっておくと売られてしまってリゾート施設が乱立したり、工業団地になったりと、伝統的な遺産や自然環境がいつの間にか損なわれてしまう。「政治家よ、しっかりやってくれよ」というよりも国に頼らず自分らで金を出して買ってしまえというのがナショナルトラストの考えです。年会費(36ポンド、7千円程度)を払えば英国中のどの施設(300くらいはあるそうな)に行っても無料ということなので、わたしも会員になりました。
 英国にはむかしの金持ちの貴族が贅沢のすべてをつくして建てたすばらしい建物が至る所にあります。その庭もナショナルトラストが維持しているので非常に美しい。観光客があまり来ないのですいている。各部屋には写真をとるような不心得者を監視するためにボランティアのおばあさんがいて、わたしにも親切に部屋の役割やみどころを説明してくれる(なにを言ってるかよくわからないが親切な感じがする)。
 今日はOsterlay Parkというところに行き、広大な庭では牛が草を食み、鴨がえさをねだってこどもがきゃきゃ言っている近くのベンチで、パトリシアコーンウェルの「真犯人」を読みました(もちろん日本語)。検死官ケイ・スカペッタが検死した死刑囚の指紋が死刑後の犯罪現場から見つかる、ケイのコンピュータには侵入を予感させる痕跡が、そうこうしているうちに助手スーザンが殺害される、どうなるんだーというところまで読みました。
 美しい自然の中で老若男女が、また牛馬鴨たちが一枚の絵のようにとけ込み、幸せってこれだーというなかで、一人変な日本人(すぐに日本人とわかるようです)のおじさんがただ一人で深刻な顔をしてベンチに座り込んでいるという違和感な観光の日々です。

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No.04 家族の英国移住間近〔H16.7.5〕
 先日(6月26日)に一人住まいアパートから家族用の家に引っ越しました。家族は7月14日からこちらに来る予定です。かなり古い物件で何度も壁を塗り替えた痕跡があり貫禄十分です。お湯もガスも出るし暖房可能(クーラーはない!)、まずは問題なく住めそうです。隣のおじいさんは「なにか問題はないか」と引っ越しの気配を感じてやって来てくれました。もう一方のお隣さんも不明な言葉を言いながらやってきました。こういう親切に照れない所は英国人の良い所なんだと思います。
 H花の行く学校は徒歩で15分くらいで、公園とお墓に挟まれた小規模な学校です。この前、学校見学に行って来たのですが、50カ国からの生徒が通っていて、肌の色の白いのやら黒いのやら黄色いのやらが遊んでいました。英語が全くできない日本人だが入学が許可してもらえるであろうかという私の質問に、校長先生は、「日本を離れることを悲しんでいないか?そうか、楽しみにしているのか!入学はOKよ。英語なんてできなくてもいいの。機嫌良く学校に来りゃそれでいいの」とのこと。いいのか、そんなんで。おれはちゃんと教育をして欲しいと思うが。とりあえず、H花は英語の特別授業を受けながら勉強していくことになります。お時間のある時にでもH花に激励の手紙でも書いてやってください(住所は管理人さんに聞いてください)。

 M君の学校の決定は地方教育局(Local Education Authority、LEA)との相談のもと、専門家に診断・評価(assessment)をしてもらい、提案・療育計画書(statement)を作成してもらわなければならないことは以前に書きました。地方教育局と相談しつつ、3つの候補学校を見て回りました(別途内容報告します)。いったん、提案・療育計画書が作成されれば、療育に関する費用(教育はもちろん、毎日の小バスでの送り迎え、ご飯代などすべて)が地方教育局のお金でまかなわれます(要するに私としては無料)。非常に明確な形で「お役所(LEA)が障害児教育について法的な責任を持っている」と宣言されていることは、いままで私が感じて来た「なにかいわれのない肩身の狭い」、嫌な気分がなく気持ちがよいです。まあ、実際に診断・評価(assessment)が始まればどんなものかわかりませんが(今後のレポート期待)。

 S平はどこか幼稚園くらいあるでしょう、女性のほとんどが職業を持ってる国ですから。そのうえ英国の出産はどんどん増加傾向にあるそうですから。ベッカムの嫁さんが子供を産んで育てているのが影響しているそうですな。この前、欧州大会のポルトガル戦でのPK戦でベッカムが1番目に出て来てゴールを外したが(それでイングランドが負けた)、出生率に影響はあるのだろうか?日本では広末涼子が出産したが出生率増加の影響をないのだろうな、若者での人気はいまいちみたいだし。広末涼子は「鉄道員(ぽっぽや)」で子供(幽霊)役で出てたけど、良かったねぇ。高倉健が広末涼子を幽霊かということに気づいた時に、アヒルのような口をしながら「こわがるといげねから」という話し方(イントネーションというか雰囲気)が良かった。「なんで自分の子供を怖がるのさ」と言った健さんも泣かせましたね。なお、ジャン・レノと共演したWASABI(わさびの意味)は見るものなし。

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No.05 こたつみかん一家の渡英事情〔H16.8.12〕
 ごぶさたです。日本は今年、ものすごく暑い夏のようですが、こちらロンドンも異例の猛暑におそわれていて、連日29度、30度を記録しています。空気はからっとしていて(こちらの人は「じめじめしていやだ」というのですが、京都から来た人間には「どこが??」と言いたくなるようなささいな湿度です)過ごしやすい。でも、家には冷房というものがなくて、夜は寝苦しくても手のうちようがないし、地下鉄もクーラーなんて備え付けられていないので、ただただ耐えるのみなのはつらいです。
 さて、広末涼子の話などに走るまぬけな夫「こたつみかん」に代わり、今回はわたくし「kotatsu de アイス」が書かせていただきます。

 まず、ひとまず無事に着きました、ということをご報告します。M君をご存知のみなさまには大変ご心配いただいていましたフライトですが、無事に乗り込み、12時間を寝たりゴロゴロしたりでのんびり過ごすことができました。泣くこともあまりなかったです。事前に落ち着く薬などを処方いただいて、ちょっとですが練習していったかいがありました。
 日本航空に乗ったのですが、最初にチケットを買う際、「かくかくしかじかの事情で、心理的負担を少しでも和らげてやりたいので、優先的なチェックインや出入国審査のご配慮いただけたらありがたい」と電話したところ、空港内のことは日本航空では何ともできませんと言われ、自閉症の症状への理解を求めようと説明しても、「お察し申し上げます」なんて返事で切り上げられたもので、怒り心頭に達していた私たち一家でした。「お察し」なんてしていらんし、それよりお互いのためになんか、考えんとあかんやろうが・・と。あきらめずに、手紙を書き、診断書を送ったりしました結果、当日のサービスは完璧で、空港のカウンターに行ってからは逆に、感謝の気持ちでいっぱいになりました。さすが日本のナショナルフラッグ!(高いだけあるやん)という感じです。チェックインも並ばなくてよいように誘導してもらえたし、飛行機に乗る直前まで日航の係員がついてきてくれ、あっちいったりこっちいったりしなくてよいよう案内してくれました。じーーーーっと並ぶことが続いたり、うろうろ道に迷っていたら、M君はあてどない旅をうとんで座り込んでしまうか、泣き出し、怒りだしてしまい、決して時間内に搭乗口までたどり着くことはなかったでしょう。係員は、薬が効いて歩けなくなった時のための車いすも押しながら来てくれました。あれよあれよと進んだので、M君は本当にスムーズに、座席までたどり着きました(途中、H花が「チケットなくした」と騒いだ以外)。ほんとうに、関空の日本航空の皆さん、ありがとうございました。席も、夏休み前だったのですいていたせいもあり、前後に一列ずつ空席をとってもらえました。重ね重ね、日航さんありがとう。おかげでM君は横になってごろごろしたり、ちょっと泣きかけた時も足で人の座席をがんがん蹴ることを心配せずにすみました。
 が、こうしたところでもおばさんパワーは強し、を実感。途中で、「あの席は空いている」と気づいた台湾の団体客の年配の女性たちがやってきて、私たちに「この席空いてますね」と尋ねました(尋ねない人もいた)。確かに空いてはいるし、自分の席とは言えないし、お互い言葉が通じにくいしで、「はー」みたいに答えたところ、代わる代わる、足を伸ばして熟睡する席として活用されてしまいました。でもまあ、そこは、彼女たちにとっても自分の席ではないので、M君が泣いたり蹴ったりするようなことがあっても、そう一方的に迷惑には感じないだろうと(勝手に)想像して、気がラクではありましたが。
 ヒースロー空港到着時も、ちゃんと連絡がいっていて、こちらでは航空会社ではなく空港係員の人がずっとつきそってくれました。M君はこちらの車いすになぜかびびり、(日本のは大丈夫だった。押す人がいきなり異人種でびっくりしたみたいでした)乗らないし、歩くスピードもすごーーーく遅かったので、ちょっと難儀はしましたが、入国カウンターでも一同まとめてやってもらい、助かりました。
 同行してもらったボランティアのYさんの活躍も大きいです。空港で座り込みそうになったり、はたまた走り出したりするM君に寄り添い(追いかけ)、ヒースローではスローモーなM君を引っ張り、おかげさまで到着できました。到着した後もM君とお出かけしたり、H花の体重測定実験の検体になったり(だいぶやせました。誰のせい?)、ツアーガイドをしたり、熊になって子供たちに襲われたり、料理を作ったり、火起こし職人となったり、S平に蹴られたりと、八面六臂の大活躍です。写真はS平がバトミントンのラケットでYさんに襲いかかるところです。

 飛行機で大変だったのが、むしろ末っ子のS平、2歳。地声が大きいうえ(父親似)、「おそら見るのー」「すわるのいやのー」「だっこちゅるのー」「あるくのー」とわがまま放題(父親似)。傍若無人に(父親似)飛行機内を走り回り、ジュースを飲みまくり(父親似)、で、母親を困らせました。
 で、着いてから、ですが。まず、S平。彼は最初、今度の家の前で何度か「これはおうち違うのー。かえりたいのー」と言って、親をうろたえさせましたが、ようやく、「Sちゃんのおうち(な)のー」と言ってくれるようになりました。先週から保育園に通い始め、さすがに一日目は泣き通しだったようですが、二日目は親の心配をよそに大変楽しく遊んで過ごし、「子供の順応力はすごい」とまた大人をうろたえさせています。4歳の日本人が一人いるだけであとはガイジンばかり、言葉もいっさい、わからないだろうに。。。。保育料が異様に高く、(一ヶ月月曜から金曜まで、朝から晩まで預けるとなんと14万円以上!)週に何回かしか通えそうにないのが残念です。(大徳寺保育園も分園を出したらどうでしょう)(写真参照)

 H花は、のーんびり、ただただのんびりすごしています。お願い、お勉強もしてね。
 で、肝心のM君。ボランティアのYさんの腕にすがり、あちこち出歩いています。駅前のオープンカフェで一緒にお茶を飲んだりもしてます。ただ、二階建てバスが好きになり、ふらりと乗っては降りるのをいやがり、終点の車庫までいくことしばしば。困りものです。また、今度の家のお風呂に入れず、頭を洗うなんてとんでもない、という日が続いたもので、くさーい髪の毛になってしまっていたのですが、ようやく好天の日は、庭の水道のシャワーで洗えるようになり、においは少し解消しました。おふろを楽しむのはちょっとまだ、時間がかかりそうです。それと、時差ぼけがなおってからも、なぜか寝る前に大泣きするので、その時間はみんなつらい気持ちになるのですが、まあまあ、全般的には元気に過ごしているといってよいでしょう。
 学校については地域の教育委員会の人に会い、来週に教育心理士が家に来て本人と面接する段取りになっています。9月に学校へとりあえず通い始めてからも、各分野の専門家によるアセスメントは続き、だいたい6ヶ月ぐらいかけて結論を出すようです。学校以外の生活方面では、お役所のソーシャルワーカーが訪問し、アセスメントをしていきました。それに基づいて、家庭に応じたサービスが提供されるようです。そうしたサービスをきめる会議が、8月はお休みなのだそうですが、先日家に来たソーシャルワーカーは「緊急の家庭があるということで会議を開いてもらえるよう上司に言う」と言ってくれました。公的なレスパイト(無料だけど月8〜12時間まで)とかいろいろあるようです。このほかにも、あちこちに電話をかけまくり、社会サービスを利用しようと、この数週間、がんばっています。ガイドヘルパーみたいなこともあれば利用したいし、夏休みの活動とかにも参加したい。で、こちらはいろいろ難渋しています。一言で言うと「ロンドン人よ、せめて時間通り働いてくれー。電話にはちゃんと出ろー。それと、約束した返事はちゃんと下さいな」ということなのですが、それについては次回に。ではでは。

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No.06 いざ、学校へ〜英国養護学校入学譚(涙)〔H16.10.16〕
 ごぶさたしているうちに、ロンドンはすっかり秋が深まり、朝は息が白くなっているほどの涼しさです。町にはコート姿やダウンベストの人がいる一方で、袖無しへそ出しの若者(と、へそというより肉出しという感じの中年)がいて、「衣替え」というつましい日本の習慣の美徳を思い起こす今日この頃です。日本は台風やら地震やらで大変な晩夏であったと聞きますが、皆様いかがおすごしでしょうか。
 ようやく、M君の学校が決まりました。地域に二つある公立のスペシャルスクールのうち、重度の子供が通うタイプの方である、M校です。ここに至るまでには、聞くも涙、語るも涙の苦闘の物語があったのです。学校決定についての地方教育委員会との交渉は主に父親のこたつみかんが、レスパイトサービスなどの学校外ケアについては私、こたつ de アイスがご報告します。
 前回、夏休みに行き場所がなく、あちこち電話をかけまくっているという話で終わりました。その時に感じたことには、こちらの人はみなさん、話は親切だし、パンフレットやホームページに書いてあることも親身な感じなのですが、「で、結局、どういうサービスが受けられるの?」「何に参加できるの」という具体的な話になると、これがまた見事になにもない。例えば、英国自閉症協会(NAS)に電話をして、「レスパイトサービスなど、利用できるサービスを紹介してほしい」と言ったところ、地域の支部の番号を教えられました。そこへ電話すると、今度は、地域のチャイルドインフォメーションサービスと、障害児の親の会のような組織を紹介されます。そこに電話すると、その二カ所がお互いを紹介し合い、地域の福祉事務所のようなところの電話番号を言います。「ほかにはないのか」と聞くと、「いっぱいですぐには利用できないと思うが」と、送迎付きの学童保育所のようなところ(「ログキャビン」)の存在を教えてくれます。ほかの組織(「オーティズム ロンドン」など)に聞いても同じです。結局、わかったのは、「ログキャビン」しかなさそう、ってことです。しかも、それがこのように書いているほどあっさりいくわけではないのがこちら流というのでしょうか。「12時から2時の間にやっている」という部署に電話をしたとします。12時半に電話を掛けたとしても、流れてくるのは「12時から2時の間にお電話ください」という留守電メッセージ。「12時過ぎてるんやけど!!」と何回か掛けてるうちにだんだん、怒りモードになってきます。なぜ何回も掛けないといけないかというと、まず最初の電話で趣旨を説明したとします。「では、調べて掛け直すね」という返事があります。でも、向こうからちゃんと掛け直してきたことは、はっきり言いますが、「ただの一度もないぞーーーー!!!」。こちらは電話を待って、外出もせずにいるわけです。でも、返事はない。翌日こちらからかけると、「ああ、そうそう」みたいな感じで返事があり、「先方に聞いてるからちょっと待ってね。あしたにも電話するから」みたいな話になる。で、翌日待ってるけどかかってこない。でまたその翌日にこっちから掛ける。すると「ああ、返事がまだなの、また聞いてみて、そっちに掛けるから」という返事。でも、かかってこないのでまたこっちから数日後に掛けると、「じゃあ、この電話番号に掛けてみて」。。。。。。「最初からその番号ゆうてくれたらええやん!!(怒)」このようなやりとりを繰り返すうち、私たち(母とM君)の夏は終わったのでした。
 収穫といえば、土曜日の午後に参加できる場所を見つけることができ、9月から通えているぐらいでしょうか。(お母ちゃん、えらい! ここにもなんど電話をしたことか(涙涙))。おもちゃや小学生用ぐらいの三輪車とかがいっぱいあって、M君も楽しんでいます。おやつも出るし。午後1時から5時までで、1回3ポンド(約600円)。そのあいだ、一家は、M君がいるとできないお買い物(M君はアーケード街に入れなかったりするので)を一気にささっとすませるなど、有効活用しつつあります。(写真参照)
 で、学校決定への道のりも、推して知るべし、の大変さでありました、とここで父親(こたつみかん)にバトンタッチします。

 わたしはとりあえず「学校選びのキモ」となる地方教育委員会の担当者に面会を求めました。にこやかで慈悲深そうな中年女性、Ms.Hが笑顔を浮かべつつ、丁寧なわかりやすい英語で、英国の障害児の教育制度の内容をやさしく説明をしてくれたわけです。「それで結局、いつから学校にいけるのであるか?」と聞きますと「アセスメント(多方面からの診断および評価)」が終わってからだから、まあ11月ごろからかなーというようなことを言いました。「それは困る。9月からにしてくれ、学校に通いながらアセスメントできるという話をNAS(英国自閉症協会)で聞いたです」と訴えたら、「それじゃそうしましょう」とのこと。つまり、訴えなかったらアセスメントが終わるまでは学校に行けなかったわけで、彼女のあふれんばかりの笑顔に安心していてはいけないのです。
 「とりあえずの学校(アセスメントの前に通う)」選びにおいては小児心理学者のドクターKが我が家を訪問して長男の状況を看て、地方教育委員会のパネルに掲題して「とりあえずの学校」が決定されるとの説明でした。8月10日に来たドクターKに早くレポートを書いてねと頭を5回くらい下げました。まさに英国紳士という感じの彼は穏やかな笑顔を浮かべ、「すぐにレポートを仕上げてパネルにかけるよ。パネルは8月30日にある予定だから、その日にM君のケースは話し合われるよ」と。私達はがっちりと握手をかわしたのでした。しかし、8月30日のパネルに長男の件は掲題されなかったのです。「どないなってるのか」と地方教育委員会に電話をしたのですが、担当者のMs.Hは長期休暇中でつかまらず、手当たり次第聞きまくると、ドクターKのレポートが届いていないとのことでした。英国紳士、侮れず。9月6日に長期休暇から帰ってきたMs.Hの机の上にはわたしからの電話問い合わせメモが貼付けられまくっていたのではないかと思います。さらに彼女の休暇明け初日から「9月から学校が始まることはみんな知ってることじゃないか。おれの息子が学校へいけないのは大変に残念で大変に失望している」と、日本紳士の仮面をかなぐり捨てて、じゃぱにーずいんぐりっしゅでまくしたてたのでした。
 おびえたMs.Hの努力で、2日後の9月8日に急遽、パネルにかかりまして、M校という養護学校にとりあえずいくのが適当だろうと言うことが決定されました。この学校はわたしも以前に見学に行ってましたし、評判の良い学校です。(写真参照)ところがMs.Hがその決定をM校に伝達したところ、「職員が足りないから受け入れられません」との回答だったとのこと。なんと、これからどうなるのか?ふたたび、Ms.Hにまくしたてると、彼女は野蛮な日本人にびびり、上司とともに会いたいと言いましたので、再び、地方教育委員会を訪れたのでした。
 彼女らの計画では、ふたたび地方教育委員会のパネルに掲題し、Mandeville Schoolの職員を増やすことを協議するとのことでした。パネルで職員増員が決定されたら、それをM校に伝えて、M校が了解すれば、それから職員のリクルートが始まり、リクルートが完了されたら、長男の受け入れが決まるとの話。えらい長い話でした。
 長い話を短くしましょう。10月8日に、約1月遅れで長男は登校できたわけです。他の障害児を持つ日本人グループからの情報では、かなり迅速な決定のようで、Ms.Hが一生懸命頑張ってくれたようです。その1月間、私が休暇を取ったり、障害児のケアの経験のある人(ケニア出身の女性)を雇い、家でM君を看ることで乗り切りました。なんせ、たとえ自宅であっても、11歳以下の子供を置いて外出することが法的に許されない国なのです。また、姉のH花も、一人では外出できない法があるのです。ちょっと散歩に出ては、座り込んでしまって何時間も家に戻れないこともあるM君がずっと家にいると、買い物もままならず、M君自身も活動量不足で睡眠不良になったりして、それはそれは大変でありました。
 登校は家の前から学校まで無料で送り迎えしてくれるのですが、ここでふたたび一悶着がおきましたが、それは次回ということで。

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No.07 いざ、学校へ(その2)〜英国養護学校通学譚〔H16.11.18〕
 こちらは秋を一気に通り越して冬の気配いっぱいです。家の前の街路樹も黄色く色づき、ばたばたと落ちて道路をぐちゅぐちゅにしています。日本は紅葉が山を赤く染めている頃と思いますが、みなさまいかがおすごしでしょうか?今回は父親のこたつみかんが、通学にまつわるトラブルをご紹介します。
 M君が通い始めたMandeville Schoolは我が家から車で30-40分くらい。気になるのは登校下校ですが、「専用車で家の前から学校内まで無料にて送迎、エスコート女性帯同」と英国の「福祉」はすばらしい。しかし、英国人の「社会」はむつかしい。一悶着があり、これがまた大変でした。

 10月6日が記念すべき初登校。専用車が「8:15」に家に迎えに来ることになりましたが、専用車が家についたのは、なんと「9:20」。いったん行く気を出したM君を家に入れると、「見通し」を失い、二度と出てこないかもしれないとの判断で、はや寒風が吹き始めた薄ら寒いロンドンの空を眺めながら、1時間弱、家の前で今か今かと母と子は待ったわけです。

 一言も謝らない運転手とエスコート女性、車椅子を乗せるためかがらんとした車内、安全性のためにシートベルトできつくいすに縛り付けられたM君。40分間の登校はそれはそれは悲惨なものであったとの電話が「障害児登下校部門」からかかってきました。M君は大声で泣き叫び、ズボンを脱ぎ捨て、前の席を、近頃特にパワーアップしたキックでけりつづけたのでした。わたしは「はじめての登校、はじめての車、はじめての付き添い女性で緊張感が高まったのでしょう。だんだんましになると思いますよ。あめとかおもちゃを持たせたほうが良かったですかね、はは。」と軽く答えたのですが、英国はそのような甘い社会ではありませんでした。

 「障害児登下校部門」が雇っている運転手とエスコート女性は「2度とM君を車に乗せない」と強く乗車拒否をしてしまったのです。「叫ばれると運転に集中 できない」とのこと。あまりのことに私は相手の言ってる内容が理解できませんでした。あんたら、それが仕事とちゃうの?「障害児登下校部門」の人も彼らを説得しているとのことなんですが、彼らの決意も固く、断固として拒否している。学校の校長先生に電話してみたところ、校長先生も自閉症児は環境変化に弱いこと、パニックになることもあることなどを説得しているがだめだとのこと。どうしようもなく、初日の帰宅はヨメさんが学校に出向きタクシーで一緒に帰ってきました。次の日の朝の登校もタクシーでヨメさんが一緒に学校に出向きました。ただ、そのタクシー自体は、役所がチャーターしてくれ、我が家はいっさい、負担をしなくてよかったのです。その辺は公の責任がはっきりしてると言えなくもないです。

 学校側と相談して、下校は担任の先生が付き添い、例の特別車で帰ることにしました。運転手のおじさんは、担任の先生が付き添う条件でM君の乗車を許諾しました(エスコート女性は依然、乗車しないという状況でした)。M君はお気に入りのボールの感触を楽しみながらなんとかパニック少なく下校を成功させたのでした。この実績にエスコート女性も、次の朝は口をへの字に曲げながらもグッドモーニングと私とM君に笑顔を見せたのでした。わたしもさわやかな(に見えるような)笑顔を浮かべて、「大変だったとのことですまんかったねぇ。よろしくおねがいしますね」と運転手とエスコート女性と握手したのでした。もちろん、わたしの知らないところで校長先生や「障害児登下校部門」が粘り強く、説得してくれたことと思います。

 学校では初日から大変に生活を楽しんでいるとのことですが、別途、報告することにしましょう。

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No.08 クリスマスにまつわる風景など〔H17.1.1〕
 新年あけましておめでとうございます。こたつに入ってみかんを食べながら、お笑い番組を見るというのは無上の楽しみですよね。ついでに「かにすき」などあれば言うことなし。こちらには甘い冬みかんは無いし、こちらのテレビのお笑い(ジョーク)は全く分からない。当然マツバガニは無いですわ。で、こちらの名物(?)のクリスマスにまつわる話などをレポートしたく思います。
 こちらでは日照時間が非常に短く、私が出社する8時ごろでも薄暗く、夕方5時にはとっぷりと日が暮れていると言う具合です。「おーいやだ、いやだ。暗いし寒いし、気持が滅入るで、鬱になるわ」と日本人同僚などは言いますが、わたしはこのロンドンの冬の雰囲気が嫌いでないです。朝のうっすら明るくなった空に教会の尖塔のシルエットがくっきりと浮かび上がります。寒さも合わさり、(緩みきった)脳みそが引き締まる気がします。
 帰宅時はライトアップされた街角を真っ赤な2階バスが走ります。むかしの映画で(名前は忘れました)ミッキーロークがパンチドランカーのボクサー役で夜の移動遊園地に行くというシーンがありました。殴られすぎた彼の脳みそは夜の移動遊園地に美しい幻燈を知覚したわけですが、ロンドンの夜を歩きながらその映画の1シーンを思い出します。わからぬ英語をまくしたてられた後のとぼとぼの帰り道、私の脳みそにも幻燈を浮かび、いい気持ちです。余談ですが、その後ミッキーロークはボクシングのライセンスを取り、実際にボクシングの試合に出たのでした。必殺「猫なでパンチ」でノックダウンを奪ったのは中年以上の方には記憶に新しいのではないでしょうか。彼がなにかを誤解したのはまことに残念だったし、「周りのヤツも止めろよな」と思ったものでした。

<閑話休題>
 本場のクリスマスイルミネーションはどんなだろうかと期待していたのですが、かなり地味です。基本的には白橙色の光のラインを巻いているだけです。そりゃ「神戸ルミナリエ」の方が、明らかに艶やか、かつ芸術的かと思います。写真は会社の帰り道の「トラファルガー広場」のイルミネーションを撮ったものです。観光客のみならず市民の憩いの場としては、いまいち地味かと思いました。ただ、隣家のおじいさんが家に招待してくれ、見せてくれたクリスマスツリーはさすがの貫禄でした。おじいさんの友人夫妻が飾り付けをしたそうなのですが、これが家族の歴史てんこもり。「息子がはじめて生まれた時に購入したコーンの人形」「はじめてパリに旅行したお土産のエッフェル塔の模型」「娘が子供の頃に手作りしたフエルトのオーナメント」「息子が行っているアメリカの大学の記念品」「祖母からもらった人形」などなど、まさしく世代をこえて、人生を彩ったさまざまのアイテムが飾られているのです。そこに、明かりをぐるぐると巻き付け、見栄えもビューティフル。家族でこうして楽しみながら祝うものなんだなーと実感した次第です。

 M君の登下校の専用車の運転手さんと付き添いさんが、M君にフリースのセーターをプレゼントしてくれました。初日のM君の車内の暴挙に乗車拒否をしたおじさんも、近頃はM君の背中をポンポンして、車に乗せてくれます。車中で泣いていたような時も、「お腹でもいたかったのかなあ」と思いやってくれるようになりました。それにしても、思いがけないプレゼントを渡され、非常にうれしい気持ちになりました。お返しには「繰り返し使用できる化学発熱カイロ、ハート型」をプレゼントしました。彼らのポケットで化学発熱して、体と心を暖めていただけたらと思うのです。

 日本人を中心とした障害児グループ「フルーツポンチ」主催のクリスマス会に行ってきました。ゲームは「こども達が輪になって、何重にも包装されたプレゼントを隣の人に回していく、音楽が止まった時に持ってる子供が包装をはがす」とシンプルで楽しそうでした。まあ、たまねぎの皮をむいていく要領です。たまねぎは皮ばかりですが、これには最後に商品が出てくるわけで、運良く最後に手元で止まった人が商品を獲得できるわけです。音楽もあるし、順番に回ってくるので分かりやすいし、何が入ってるかとの興味も維持できるし、なかなか自閉症の人向けのゲームかも。サンタは外人さんが抜擢されて、さすがにそれらしかったです。いつも、そういう集団遊びにはなかなか参加できないM君も、何を思ったか、輪に入って座り、ちゃんとゲームに参加するという、うれしい驚きもありました。学校でもそういったゲームを取り入れた授業が多く、付き添いの先生と参加する中で、こういった遊びの楽しみを少しは理解しつつあるのだろうと思われます。自分が今、何をすればいいのかがはっきり分かるようになっていけば、参加できる楽しいことが増えていくのかも、と、前向きな気持ちにさせてくれるハプニングでした。M君は最後まで座ってゲームに参加でき、本当に親もびっくりでした。結局、M君は色ペンを獲得しました。

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No.09 パリ&山岳地帯(ピークディストリクト)旅行記〔H17.4.3〕
 春休みの「車で行くカントリーサイド、ロッジ旅行の顛末」などを書こうかと思うのですが、まずは昨年末に行った「ユーロスターで行くパリ疲労の顛末」を書くべきでしょうか。

 パリ旅行で学んだことは以下の3つでした。@ユーロスターでの英仏移動の3時間は「M君がいつ切れるか」とびくびくしながら過ごす場合、精神的にかなり長く感じた、A歩くことを拒否したM君をベビーカーにのせて走るにはシャンゼリゼ通りは人が多すぎた、Bはじめてのレストランでの食事が続くと、M君が爆発する危険度が上がるー。
 ・M君の好きなおやつを隠し持ち、決死の覚悟で乗り込んだユーロスター。しーんと静かな車内。M君が微妙な声を出すので、隣に座った母親は一瞬も心休まりませんでした。しかも近くには、幼児の声が苦手なM君の苦悩を誘うかのように、4、5歳ぐらいの女の子がいて、3時間ずーっとしゃべりっぱなし。後から思えば、時たま声を出していたM君よりも、その女の子の方が他の乗客には(私たちも含め)うるさく感じられたことと思われ、迷惑度はうちの方が低かったはずなので、もう少し気楽にしてもよかったかもしれなかったです。ちなみに、帰りもこの女の子と同じ車両となり、また、そのおしゃべりに悩まされたのでした。
 ・M君は人ごみが嫌い。あてどのない歩きが嫌い。知らない建物に入るのも嫌い。なので、都市型観光旅行には相当無理があるのです。パリ全般、歩きたがらずに座り込んだのも当然と言えば当然なのですが、「パリに行きたいんじゃ」という父の思いに家族は引きずられ、M君は座り込み、悲惨な旅となったのでした。歩かないM君をベビーカーにのせるということは、ベビーカーにのるべきS平は、ゆっくり歩くか、抱っこ(by 母)。さらには、M君ののったベビーカーは、当然ながら重い。座席から溢れ出すでかい体を載せ、車輪をきしませながら進む異様なベビーカー。素知らぬ顔の観光客やパリジャンがほとんどでしたが、さすがに子供達は好奇心もあらわに、その不思議なベビーカーと、必死の形相でそれを押す父親を眺めておりました。重量オーバーに耐えたかわいそうなベビーカーは、3日目には壊れてしまい、あわれパリのゴミと消えたのでありました。最終日に壊れるとは、ベビーカーもよく頑張ってくれました。
 ・歩き回ったいろんなところでとりあえず、食事に入るのですが、どうもM君の様子が全般によくなく、楽しめない食事タイムでした。モンマルトルでは、手を伸ばして伸びをしたM君に、店の主人が「絵に触るな!!」と怒鳴りつけました。たまたまM君の頭の上の方に絵があったのですが、M君は触ってもいないし、触ろうともしていなかったし、よほど手を伸ばさないと届かないところにあったのですが。ぎゃあぎゃあ怒鳴られ、M君も怖かったのか爆発しそうになったので、母とあわてて店を出ました。お土産屋さんでも、普通に置いてある商品にさわって怒鳴られたし、概してパリの観光地の人は、M君に冷たかった。ロンドン水族館の近くのお土産屋さんで、M君が好きなおもちゃを見つけ、喜んで触っているうちに壊してしまった時、支払いをしようとする父親に「そういうこともあるからいいよ」とにこにこ言ってくれたロンドン人と、どうしても比較してしまいます。そう感じるのは、甘いのかもしれない。でも、母は、「パリの町はきれいだけど、それは劣って見えるものや醜く見えるものや、賢そうに振る舞えない人を排除して保ってる偏狭なきれいさなのだわ」と感じたのでありました。フランスの航空会社は以前、自閉症の人を搭乗拒否する、と宣言したようなこともあったし。正直言って、数少ない経験からだけですが、母はパリが大嫌いになったのでした。
 上記の反省を踏まえて、春休みは、・自家用車で行ける所で、・人口密度の低い田舎で、・ロッジを家族で借りて、食事時も家族で気楽にすごせる、という場所を探しました。で、見つけたのが「ピークディスクトリクト(山岳地域)」。ナショナルトラストが経営するロッジを借りてのんびりと自然の中でリラックスしようというのを目的に、計画を立てました。そのころ母には、個人的につらいできごともあり、傷心旅行というおもむきもありました。

 石のブロックで作られた民家、積み石で作られた羊の囲いが緑の広大な草原に走っていました。羊、牛、馬がのんびりと草を食み、キジが車の前に飛び出してきました。ロッジは谷底の2軒のうちの1軒で隣には夏季だけのカフェがありました。S平は隣の農場の牛が好きになりました。
 M君も好調に鼻歌を歌いながら、パブリックフットパス(自然歩道のようなものですな)を歩きました。石作りの橋は風景になじんで絵のようでした。写真のように羊が群れていることもあり、楽しい散歩ができました。
 とまあ、最初から最後まで計画通り、大変にリラックスした旅行であった・・・はずはありません。

 その日は朝から雨が降っており、強雨も予測されておりました。博物館でもぶらつこうかとバクストンと言う町にでかけました。京都植物園の温室のような博物館に一旦入った一行ですが、小学校の体育館や花背山の家の食堂が嫌いなM君、恐怖感が限界を超えたのか脱兎のごとく飛び出してしまいました。オーバーを着る間もなく冷たい雨の降る外へ飛び出す母。父親があたふたとH花とS平を伴い外に出た時には、2人の姿はどこにもありません。おお、なんということか、父の携帯電話の充電がほとんどない! 母からの「左に向かった、一つ目の信号を左、駐車場が近くにある、桜の花が咲いている、公園に入った」などの短いメッセージを頼りに見知らぬ町を走りました。一方で母親も、悲惨なめにあっていました。どうやっても足の速いM君に追いつけず、M君が犬にであったりして車道に飛び出さないか、交差点で車にぶつからないか、もう永遠に追いつけないのではないか、などと、それはもう肝を冷やしながら、久方ぶりの全力疾走で追いかけていたのでありました。追いかければ追いかけるほど遠ざかるM君。ようやく、「座って」という指示がM君に届き、そぼ降る雨の中、最初は動悸を鎮めつつ、その後は寒さに打ち震えつつ、二人で座り込んだのでした。父親は、S平とH花を雨にぬれない場所に待たせ、やっとM君と母に巡り会えた時には安堵しましたが、さすがM君、それだけではすみません。携帯の電池も、この時には切れていました。

 早くS平とH花のところへ戻らなくては。しかし、M君は、博物館の方向に近づくこうとすると、ふたたび脱兎のごとく走り出すのです。何ともすばらしい方向感覚。秘蔵のさいころキャラメル(made in Japan. ロンドンでは1.38ポンド、約300円もするのです)をあげようが全く納得してくれません。大きく迂回することでなんとか5人の家族が一時的に出会えたのですが、みたび、M君は走り出し、今度は父とM君が他の三人とはぐれてしまいました。父と息子は公園のベンチで惨めに濡れそぼち、母と姉弟は、二人を探して果てしなく広い広い公園をさまよい歩いたのでした。しとしとと降る雨の中、寒かった。つらかった。唯一の救い(?)は、そんな天候の中でも、薄いジャンパーだけを羽織って元気に遊んでいる子どもやら、傘もささずに散歩する老夫婦らがたくさんいて、「あの人達が寒くないのだから、私たちが寒いのは実は何かの幻。本当は寒くないのだ」と自分たちに言い聞かせることができたことでしょうか。

 今回の反省点である・体育館様の建物には、一旦入れても油断禁物、・携帯の充電状況には注意、・普段からの運動でM君に負けない体力を維持する(とくに 脚力、持久力)を、次回の旅行に活かしたいと思うところです。

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No.10 ステートメント(案)が来た〔H17.4.16〕
 英国の障害児親の会なんかでは、お天気の話の次は「おたくはステートメント(診断結果および療育方針)をもう取りはりました?」というような話の展開になることが多いです。ステートメントが完成されるということは、アセスメント(多方面からの診断)が終了して療育方針が公式に決められるということなので、一つの大きな一里塚なわけです。M君は昨年10月からアセスメントが行われてきたのですが、やっと、本年3月になって「ステートメント案」が送られてきました。当初の予定では昨年の11月中に届くはずであったのですから4ヶ月間程度遅れたわけです。電話で現況を聞く(プレッシャーをかける)と「M君はすでに専門の養護学校に通学できているわけだから、まだ特殊教育を受けられていない他の児童のアセスメントを優先した」というような説明(言い訳?)でありました。まあ、実際にアセスメントは遅れがちなようで、障害児親の会なんかでは「ステートメントの作成が遅れて、行くべき学校がなかなか決まらないんですわ」というような話を聞きます。

 ステートメントだけじゃないです。何かにつけて英国はのんびりした国です。これは、英国国民はジェントルマン気質であり(面と向かっては)相手をなじったり、不平を言ったりしないことに起因するように思えます。駅の自動販売機は高頻度に故障していますが、皆、悠々と人間が担当する窓口に長い列を作っています。地下鉄が止まっても微笑みを浮かべて静かに座っています。「いつまで待たすんや、なめとんのか、わしは忙しいんや」というような私みたいな輩からのプレッシャーが、日本の公共サービスの向上に貢献しているのではないかと思うのです。まあ、ものには両面がありますので、わたしは英国気質がけしからんとは思いませんが、事実、英国では時間がゆっくり過ぎて行きます。

 本題に戻って、気になるM君の「ステートメント」ですが、以下の6項目でまとめられています。
パート1:名前、生年月日、住所、電話番号、両親などの基本的情報
パート2:アセスメント(多方面からの各診断)のまとめ
パート3:今後の療育方針(これが一番大事ですね)
パート4:適切な学校名
あと、パート5およびパート6があるのですが、今回のM君のステートメント案ではブランクでした。また、現在通学しているM校からのレポート、教育心理学者の診断書、社会福祉委員の報告書、それと親が書いた生い立ちからのM君の様子、日本の主治医に書いていただいた診断書も添付されていました。

パート2は初回のアセスメントの結果ということで特に目立った(感心するような)ことは書かれていませんでした。私達が一番困っているのは、M君が突如としてパニックになり泣き叫ぶことです。何がきっかけになるのか私にも全く分かりません。そして親や付き添いの方が何をすることもできずおろおろしているうちに、時間が経てば落ち着き、ニコニコと笑顔を浮かべると言う摩訶不思議。写真でスケジュールを示そうが、ラムネをあげようがだめな時はだめでした。「英国のカリスマ療育師がたちどころに原因を言い当て、一挙に解決してくれる」ことを夢想しておりましたが、レポートには「地面に仰向けになってパニックになる。原因は現時点ではわからないが、フラストレーションを軽減してあげなければならない」とあり、長い自閉症療育の歴史もつ英国の、豊富な知識を有する自閉症専門家でも、M君のパニックはすぐには解決できないのだなと思うところです。さすがにM君は手強い。

 パート3Aには療育目標が書かれてました。これは、まあ自閉症児なら誰もよく似た目標設定なんじゃないでしょうか。
・国家的カリキュラム(なんだこれは?)による広範囲のバランスのとれた教育カリキュラムを施す
・社会的スキルを発達させる
・言語能力とコミュニケーションスキルを発達させる
・遊びの仕方を発達させる
・欲求不満による爆発頻度および程度を低下させる(上記のパニックんことですな)
・初期の読み書き(英語なんでしょうな)、数のスキルを発達させる

パート3Bには3Aには上記の療育目標達成のために施すべき教育方針が具体的に書かれていました。地方教育委員会はM君の障害の程度に合った学校を決める。本年5月にアニュアルレビュー(年1回の療育評価、今後方針の機会)を持ち、次年度の療育方針を立てる。学校と当局は下記の項目に付いて責任をもって対応する。
・M君の障害は今後も評価を続ける
・高度に構造的で、明確なカリキュラムを、場合に応じて少人数クラス、多人数クラスまたは1:1の対応にて行う
・感触、聴覚的および視覚的に富んだ環境での教育場所が必要
・スキルや概念を繰り返し行えるプログラムにする
・TEACCH 法を行う
・ICTソフトウェア使用環境(タッチスクリーンやスイッチなどが付いたパソコンのようなものみたいです)
・PECS(単純化した絵で示すようなものです)を使える環境
・社会性と遊びのスキルを開発するプログラム
・フラストレーション(パニック)の程度を減らすためのプログラム
・言語とコミュニケーションを発達させるための統合したカリキュラム(なんじゃこりゃ)
・言語と数についてはM君の程度に合わせた個人的プログラムが必要
・家庭、学校、福祉サービスが密に情報共有できるようにする
・大勢のスタッフが関与するべきである
・自閉症教育の専門家で、経験豊かなスタッフによる療育が必要
・関係するスタッフ全員が本ステートメントを読む機会を与え、M君の障害と療育方針の理解を徹底する
・責任者を決めて療育プログラムの進捗を管理する
・レッスンや活動はM君の程度に合わせた実施しやすいものにする。活動は細かく分断して、一つ一つの達成を積み重ねるようにするべきである。
・ナショナルカリキュラム(再度、これは不明です)を完全適応するべきである。

 とまあ概括して言えば、M君の障害の程度はかなりきついので、十分な療育をする必要があるというところでしょうか?この施策一つ一つについて「どのような療育を実施し、どのような成果が出たか」を1年間に1度評価して行くわけです。わたしはこの施策の実施に学校および当局が責任を持っており(法的強制力を持つ)とあるところが面白いと思うのです。例えば「TEACCHを実施すべきである」とあるのに実施しない場合は学校側の法的責任を問えるということになるということと思います。指導者の数にしても「1:1対応が必要」とステートメントに書かれてあれば、学校は1:1対応に必要な指導者(スタッフ)の手配をしなくてはならないのです。学校や教育委員会の都合で療育方針が決まるのではなく、子どもの障害の程度を第一義として決められる、わたしはこういうスパッとした明確さが快いと思います。炊く前の米に手刀を入れるような感じ。日本では炊いた後の米のようにヌタッとした、本筋以外の理由で、しかたないなぁーと納得に持って行かれてしまう不満足感がありました。

 日本にいる時、「絵によるコミュニケーションやわかりやすい絵によるスケジュール立てなどをしていただけませんかね」と学校側にお願いしてをして実施していただいていました。先生は工夫して「わかりやすいスケジュール帳と写真シール」を使って下さってましたが、これには後日談があります。M君がそれなりにスケジュール帳の理解がある程度できてきた頃、「写真シールは経費削減のために取りやめたい」という申し出がありました。確かに糊つきプリント用紙の値段は普通紙より高いけど、子どもの療育、発達に日々心を痛めている親としては「読まない国語の教科書はいらんから、糊つきプリント用紙くらい買ってくれ〜」と言う思いでした。

 パート4は本来は地方教育委員会から「このステートメントで挙げられた目的および療育を完遂するためには適当な学校は○○です」と書いてくるもののようですが、今回は空欄で来て、親の希望が尋ねられました。これはなぜかはわかりませんが、昨年地方教育委員会のパネルにかかって、すでにM校に通学していると言う特別な状況に関与しているのかもしれません。

 今回送られてきたステートメント案に異論は無いのですが、専門用語や略号がわからないし、今後の予定なども不案内だし、地方教育委員会の担当者も変更しているので、面接を申し込みました。面接でなにか面白いことがあればまた報告します、乞うご期待。

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No.11 ロンドンではやりの本〔H17.4.17〕
 The Curious Incident of the Dog in The Night Time
(イヌ不可思議殺犬事件とでも訳しましょうか)というタイトルの本が2004年度のベストセラーの一つとして、本屋でディスプレイされています。表紙は、写真のように、農作業用フォークに突き刺された犬が描かれ、目を引きます。タイトルや表紙デザインからはお笑い系探偵小説かと思われるのですが、事実私もそう思ってCD Bookを購入したのですが、本の内容はタイトルや表紙とまったくマッチせず、感動的な物語でした。この本はアスペルガー症候群の少年のチャレンジと家族愛の物語です。日本語訳はされそうにないので、ネタバレしてもいいかなと思い、紹介したく思います。

 15歳の少年クリストファーが残酷な様子で殺されている隣人の飼い犬を見つけるところから物語が始まります。質問をしてきた警察官は不用意にクリストファーの体に触れます。見知らぬ人に体を触られることを極度にいやがるクリストファーは警察官を殴ってしまい、警察に連行されるのです。まあ、厳重注意を受けて帰ってくるのですが、彼の社会とのかかわりに難しさがクローズアップされたオープニングであります。

 彼はアスペルガー症候群で養護学校に通っています。数学と物理学の成績がすばらしく、特に数学は得意で大学受験資格であるAレベルの試験を間近に控えています。黄色と茶色が嫌いであり、見知らぬ人を恐れます。母親は心臓発作で数年前に亡くなっており、父親と2人で暮らしています。

 クリストファーは犬を殺した犯人を探すために、見知らぬ人に自分から質問をして行くという普段に無い行動をとります。この「探偵」の間、母親の死に関して暗示を与える隣人などともコミュニケーションを取り、父親の大逆鱗に触れたりします。とうとう、彼は父親の部屋から自分宛の母親の手紙の束を見つけます。なんと、手紙には母親の死亡後の日付があります。母親は独善的暴君である父親に愛想を尽かし、優しい隣人とダブル不倫して出奔し、ロンドンで働いていたのでした。手紙を読んでいるところを見つけた父親はクリストファーに謝ります。母親の死について嘘を言っていたこと、母親の手紙は彼が成人してから渡そうと隠していたこと、そして飼い主との感情のもつれから犬を殺したのは自分であること。

 クリストファーはこのうえなく父親を恐れました。犬を殺した父親は次は自分を殺すかもしれない。真夜中に父親の銀行カードとペットのネズミをポケットに入れて家を出て、国鉄に乗ってロンドンに向かいます。銀行カードの暗証番号、母親の現住所と電話番号は完璧に暗記してますので、警察官に問われてもすらすらよどみなく答えることができます。父親からの通報で調査している警察官からも逃れて、ロンドンまでたどり着いてからが大変。彼の最も苦手な人ごみ、雑音、ひっきりなしに来る地下鉄。電光掲示板で示される発着スケジュールを理解し、地下鉄のロードマップを手に入れた彼は自信を取り戻し、母親の住居にたどり着いたのは夜の11時を超えておりました。

 翌朝には警察官と父親が来て、お決まりの扶養権をめぐる争いが展開されます。「クリストファーにわたしが死んだと嘘をついていたんね!毎週書いていた手紙を見せないなんてひどい人だわ!」。「誰が飯を作って、学校に行かせて育てていると思ってるんや!勝手に男と出て行きおったやつが片腹痛いわ!」。クリストファー本人は絶対に父親とは暮らさないと強く主張しますのでとりあえずロンドンでの生活が始まるわけですが、困ったことに算数のAレベルの試験が近づいています。母親は「来年ロンドンで取ったらいいやん」とか言って必死になだめるのですがクリストファーは泣き叫び、試験を受けねばならないと繰り返すのみ。障害の質を心得ている母親とは違い、不倫相手は嫌気がさして来ます。

 Aレベルの試験を受けるために戻って来たクリストファーと母親。不倫相手は翌日にやって来て母親の荷物を放り出してロンドンに帰ってしまいます。父親を恐れるクリストファー、狭いアパートで暮らす母子。とうとう試験の当日ですが、ここのところの不安定な生活でクリストファーの調子が出ません。なにも考えられないのです。多くの犠牲を取り、大きな期待を背負い臨む試験、彼は受かるのでしょうか?

 一方、父と母はクリストファーの教育や生活を相談して行く中で、相互の理解を少しづつ取り戻して行きます。「子はかすがい」というやつですね。。そうこうしているうちに算数のAレベルの合格が知らされました。父親との面会を極度に恐れるクリストファーに、父親はキッチンタイマーを回して時間限定で話をします。「ごめんなさい、許してくれ。もう嘘はつかない、もう、犬は殺さない」クリストファーは答えません。「こうやって時間限定で話して行きたいんや。時間は非常にかかると思うが、どうかお父ちゃんを受け入れてほしい」。そしてドアの向こうから押し込んで来たのは2ヶ月齢のラブラドルレトリバーの子犬でした。

 物語の最後はクリストファーの独白で終わります。「物理も頑張ってAレベルを取って、大学に行って研究者になるんだ。探偵もしたんだ。ロンドンまで行ったんだ。どんなことでもできるさ」。

 レインマンを始め、自閉症やアスペルガー症候群の人の特異的才能(記憶の良さなど)に着眼した小説がいままでにもヒットしましたが、この小説はそれらとは一線を画しているように思いました。クリストファーは苦しみながらも自らを鼓舞していきます。決して完璧な人間性でない父親、母親がクリストファーとともに一生懸命生きて行きます。

 久しぶりに心の動く物語でした。
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No.12 7月7日ロンドン同時多発テロ〔H17.7.9〕
 テロが発生して2日間が過ぎました。私の住んでいる郊外では、2階建てバスが走り,散歩している老夫婦あり,オープンカフェでアフタヌーンティを楽しむカップルありで、日常生活に変わりがないように見えます。しかし、家の中では、テレビでテロ関係のニュースがひたすら流れており、破壊されたバス、駅前に積まれた花束、行方不明の家族、知人を探す市民の悲痛なコメントがなどが流れています。

 爆発は9時前でした。私の乗っていた地下鉄はハイドパークコーナーという市内の駅に着いた後「電気系統の問題で出発できなくなったので、皆さん、この駅で降りてください」とのアナウンスがありました。今までにも何度かあったことなので、特に不安を感じることなく下車し、会社までてくてくと歩いて行き、「地下鉄が止まってねぇ」と遅刻のいい訳をしながら、通常通りの仕事を始めました。会社から数百メートルくらいのところで2階建てバスが爆破され、また、さほど遠くない地下鉄の駅で多くの方が亡くなられていたことを、その時には、まったく知らなかったのです。

 そうこうするうち、まわりの同僚の携帯電話が鳴り出しました。安否を確認するための電話でした。オフィスはざわざわし始め、米国から、大阪本社から、同僚がコンタクトしてきました。総務部から「爆発があった」と知らせる3行ほどの簡単な電子メールが届き、ほどなく、パソコンがシャットダウンされ、インターネットでの事件の検索もできなくなりました。米国の同僚や、日本でニュースを見ている父親からの情報で、ロンドンで大きなテロが行われていることが、徐々に分かった次第です。

 とても仕事をしている状態でなくなり、テレビを求めて同僚たちと近くのパブに行きました。2階が吹っ飛んでいるバスや警察が大騒ぎしているところがうつっていました。ロンドンの地下鉄は非常に深い所を走ってます。地上からこんなに深い所で爆発が起こり、真っ暗な中、パニックになってしまうことは、ものすごくおそろしいことでしょう。

 このような一般市民をターゲットにしたテロは、防ぎようが無いのではないか、と思いました。朝の満員地下鉄は、他人の挙動になぞ注意を払えるような状況でないし、2階建てバスの2階に上がってしまえば運転手、車掌の目は全く届きません。まして、自殺覚悟のテロリストが手荷物を持って乗ってくれば、一般市民が危険予知、予防できるとは思えません。「断固としてテロと戦う」と宣言されても、言葉は勇ましいけど、安心な気持ちにはならないです。飛行機に乗るような厳重なボディチェックをしてバスや地下鉄に乗る訳でないのだし。

 会社からは、「公共交通機関を利用せずに帰宅するか、近くのホテルで宿泊するよう」指示が出ました。私は、地下鉄で30分足らずの自宅まで、徒歩で5時間かけて帰りました。今日はその疲労から回復し、テレビを見ています、M君をこそごったり、S平に絵本を読みながら、なくられた方の、突然失われた生活を思いながら。
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No.13 英国人の転職意識〔H17.7.17〕
 先日、1週間に1度、3時頃から6時半までM君と遊んでくれるというレスパイトケアをしてくれているロージーさんのお別れ会をしました。寿司とお好み焼きとチャーハンという日本料理(?)でささやかではありましたけれど、私たちの感謝の気持ちを伝えたかったのです。

 彼女とM君の相性は抜群で、「こちょこちょ」とこそばってもらったり、庭で自由に遊ばせてもらったりしてきましたので、M君は彼女に、始終、笑顔を見せておりました。わたしとしては、大変に残念なのですが、彼女は美術系の専門学校に入って「粘土人形」を作りたいとの夢がありました。

 就業に関して英国人は非常に柔軟だなーと思います。会社に新入社員(女性)が入って来たのですが、4年ほど前に違う会社におり、一緒に仕事をしたことがあったので、「奇遇やね、どないしてたん?」と聞くと「以前の会社は止めてフランスのスキー場で働いていて、また製薬業界に帰ることにしたんや」とのこと。1年間の趣味を兼ねた仕事は大変楽しかったそうです。この前は数年間勤めていた若手の社員が急に退社するとのことで他社に引き抜かれたのかと思ったら、警察官になるとのこと。「昔から警察官になりたかった」が、色盲でやむなく製薬企業に来ていたけれども、警察の就業条件が変更されたので、転職するとのことでした。総務のようなことをしてくれている若者は1年ほど前に、一旦退社して、「舞台役者」になりました。その後、舞台のパンフレットのような写真に半ズボンをはいた子供役として写っており、がんばっているんやなーと思っておったのですが、最近になって、「手持ちの金が尽きた」とのことで、舞い戻ってきました。

 いったん入社してしまえば 40年間程度、同じ会社で働き続けることが多い日本人のサラリーマンと考え方が違うのは当然だよなーと思います。日本では社内雑誌にて「会社の将来は悲観的なものだ、従業員一丸となってガンバらないと存続が危うい」というような記事を毎回載せて、社員の危機意識を高めて、いわゆる檄を飛ばしています。日本人は「吸収合併、リストラ、この歳になって路頭に迷う、これはあかん」と想像し、それなりにがんばろうかと思う訳です。そのまんま英訳されてこちらの会社にも送られてきますが、こちらの社員は「そんなに悲観的な状況なら、他社か他業種に移ろう」と転職情報収集にいそしむようになるようです。

 わたしは日本人が染み付いていますので、今乗っている船から脱出して他の船に乗り換えることはできそうにないです。嵐がくれば甲板を右往左往して、流氷にぶつかり沈み始めれば、運がなかったと空を仰いで、冷たい海の中に沈んでいくことでしょう。ちなみに、実は沈んでったデカプリオが生きておったという驚愕の展開で「タイタニック2」が撮られるという噂があり楽しみにしてましたが、出てこないみたいで残念です。

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No.14 化石の村〔H17.8.13〕
 英語の早口言葉で「She sells sea-shells on the sea shore(シーセルズ シーシェルズ オンダ シーショォ)」というのがあるのですが、意味は「彼女は、貝殻を、海辺で、売った」ということで、坊主が屏風に坊主の絵を上手に書いたような、あまり意味ないもんかいなと思ってたのですが、この早口言葉にはモデルがあったのでした。

 マリー・アニングは南イングランドの海辺の町の大変に貧乏な家に生まれました。父親は多額の借金を残して流行病で急逝し、子どもたちは海辺で化石を拾って、パンや砂糖を買い、生計の足しにしておりました。古い地層があらわな断崖絶壁は高波に削られて、そこから化石が浜辺に落ちてきます。化石を狙う子どもたちは、悪天候時に、人より先んじて、浜辺に出ます。マリー自身も何度か高波にさらわれるような危険な目にあったようです。
 彼女が12歳のときです。彼女(本によっては彼女の弟と書いてあります)は不思議な化石を見いだしました。弟と協力して掘り出した2メートル程度の化石は、歯はワニの様でもあり、ひれは魚の様でもある不思議なものでした。これが、歴史的なイクチオサウルス(ジュラ紀前期)の発見です(写真参照)。この化石はマリーの家族が半年間食いつなげるほどの高額で買い取られました。また、マリーを訪ねて来る多くの学者に影響を受け、彼女も化石の研究家(採集家)になったのでした。

 前振りが大変に長くなってしまいました。マリーが産まれ暮らした南の海岸(ライムレジスおよびチャーマス)に行ってきました。H花(同じく12歳)は化石に興味がありますし、S平は「恐竜さん」が非常に好きですし。人ごみが苦手なM君も、開放的な大空と大海原は、おそらく好きだろう。この辺りの断崖絶壁は「ジュラッシクコースト」と呼ばれて、ジュラシック期の地層が地殻変動により盛り上がってできた陸地であり、世界遺産にも認定されてます。まあ、学問的にも貴重なのでしょうが、風景としてもきれいです。6泊したナショナルトラスト管理のロッジは、茅葺きに黄色い壁、田舎の村はずれの人跡まれな所に(ちょっとおおげさ)、ぽつんと立っていました。

 まあ、私の「計画倒れ」はいつものことです。まず最初は、M君ですが、浜辺に(怖くて)行けません。彼のNGに「狭くて暗い場所」、「体育館」、「人ごみ」に加えて「浜辺」を付け加えなくてならないことは大変に残念なことです。M君は浜辺近くまで来ると、脱兎のごとく、駐車場まで駈け戻るのです。重厚で綿密なる説得工作を行い、車内から連れ出しても、浜辺に到着寸前で、再び脱兎のごとく駈け戻る、三たび説得工作を行い、以下同文。。。駐車場と浜辺の道を何回往復したでしょう。結局、父親と母親がかわりばんこにM君に付き添いながら、他方がH花とS平の化石採集に付き添うという、大変に手間のかかることになってしまいました。

 次の「想定外」は、「そこいら中にアンモナイトの化石やらが落ちてるで、まあ、恐竜の化石は無理かもしれんがな、がはは」との会社の同僚の話。しかし、ハングリー精神の無いH花(同じく12歳)と、M君とのやり取りで疲れて根性のなくなった父親の目には、化石は見つかりません。早々にあきらめ、ちかくの化石屋にて「採集」をすることにしたのでした。アンモナイト、三葉虫、ウニなど、我慢できずにたくさん買ってしまいました。

 現在,この化石は応接間の飾り棚の最高の場所に鎮座しています。「こいつらは太古の時代に生きとったんや」と言う確かな証拠、化石。私はすっかり化石に魅せられてしまいました。

 家族の寝静まった深夜に、生命の不思議、宇宙の不思議、自閉症の不思議に思いを馳せる、今日この頃です。
(家族にも思いをはせてちょーだいね←妻の声)

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No.15 観光案内(英国田舎町)〔H17.9.18〕
 私は英国の田舎町(村)が好きです。家々の色合いやトーンが統一されていることが、安心感というか安定感を与えるのでしょうか。町の雰囲気から外れるような突飛な色彩や形状の家屋はなく、それぞれの町、村が独特の雰囲気を作り出しています。

 写真はロンドンの北東の方角にあるイーストアングリア地方のラベナムという田舎町です。町のほとんど家がゆがんでいます。木の梁があらわなので、ゆがみ具合が強調されてまして、なんとも不思議な統一感が町を支配しており、きょろきょろ散歩するだけで大変に楽しい町でした。
 このような傾いた家々の古い町並みが残されている理由は「日本みたいに地震や台風などの自然災害がないから家が長持ちするんや」では、ないようです。こちらの人は昔ながらの古いものに大きな価値を見出すようです。傾いてきた家につっかいを入れ,壁の色を塗り替えし、何代にも渡って、雰囲気のある家に育てていくことに大きな価値を見出しているように思えます。

 「くまのプーさんがアメリカのディズニーに売られてしまい、プラスチックのコップに印刷されていることは、大変に嘆かわしい」と、知り合いの英国人が言ってました。この感覚は、古いもの、アンティークを愛する英国人のそれに繋がるものなのでしょう。

 もう1枚の写真はコッツウォルズ地方の、カッスルクームという大変に小さな山間の村で、「英国でもっとも愛らしい村」という称号(評判?)を与えられています。黄みを帯びた石造りの家々は400〜500年間前に立てられたそうです。M君もこの村を気に入ったのか、家族の先頭に立ち、飄々と散歩しました。村の人は、家の補修を繰り返し、この貴重なアンティークの家に現在も住みつづけているわけで、観光用に残されている白川郷の合掌造りの村とは意味合いを異にします。
 白川郷の合掌造りの村といえば、私が中学校に入学する前でしたが、「最後の家族旅行」に行った所です。高校生になる兄と中学生になる私、親との旅行なんぞが恥ずかしくなる年頃でした。生意気盛りの男兄弟に向かって、母親が「最後の家族旅行」を宣言したのでありました。そして実際に最後の家族旅行になったわけですが、H花はその時の私の年齢(12歳)と同じです。それで、一つ一つの家族旅行が貴重だよなとの感慨をエネルギーに、今日もパソコンの前で、デジカメ写真を整理したり、ビデオ編集に熱中してしまうというこの頃です

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No.16 ハロウィンの夜〔H17.11.14〕
 今年は京都の紅葉が遅れていると聞いていますが、そろそろ山々が美しく色づいてきたのではないでしょうか。北山通では、ハロウィンのカボチャが今年も町を飾ったことと思います。

 英国では10月31日のハロウィン当日に備えるため、10月に入ると、恐ろしげなマスク、草刈ガマ、魔女のドレスなんかが店頭に並びます。また、襲われる(訪問される)側のために小分けできるお菓子類が安く売られたりします。
 我が家は昨年、予期せぬお化けたちの「訪問」にあわてたので、今年は準備万端、かぼちゃのランタン(写真参照)をつくり、おやつも買い揃えて、「お化け」に扮した子供たちを待ち構えました。
 かぼちゃのランタンに導かれて次から次へと「お化け」たちがやってきます。チャイムが鳴るたびにS平は「お化けさんが来たー」と言って喜び勇んで玄関にやってくるものの、あまりの恐ろしさにおかあちゃんの足にしがみつきます。一方、M君は「お化け」を無視して、お菓子のおこぼれを狙いに、やはり玄関にやってきます。

 続けざまに、20組くらいの「お化け」が我が家にやってきました。次の「お化け」のファッションはどうかな?と、ドアがノックされるたび、期待感が募ります。典型的なのは、顔にお化けの面、手には大きな鎌、マントを羽織るというスタイルですが、なぜか白雪姫とシンデレラが手をつないでやって来たり、ゆかたを着てうちわを持った盆踊りスタイル(もちろん日本人)もやって来ました。
 一方、11月5日はガイ・フォークスの記念祭ということで多くの公園で花火が盛大に打ち上げられます。琵琶湖花火大会のようなスケールの大きい、美しい、贅を尽くしたものではないのですが、ひたすら長時間、あちらこちらの公園で打ちまくられます。この記念祭の理由がおもしろいというか、そんなんでいいのか、あんたら?という感じなので、ご紹介したいと思います。

 英国ではカトリックを正式な宗教とするか、それともプロテスタントか、国教かということで(私には違いがわかりません)、王位が継承されるたびに、どんでん返しがあり、そのたびに弾圧される側の牧師が火あぶりになるという歴史を繰り返してきました。カトリックが弾圧されていた時のことです。カトリックの信者が国会議事堂の地下に爆発物を溜め込み、「宗教関係者も政府の要人も全部吹っ飛ばしてやれ」と大胆なテロが計画されました。しかし、寸前にたれこみがあり、爆破計画は阻止され、地下で隠れていたガイ・フォークスという実行犯の一人がつかまってしまいました。彼はあの拷問で有名なロンドンタワーで、ありとあらゆる残酷な拷問を受け、市中引き回しのうえ獄門、八つ裂きにされ、生首がさらされたのでした。で、このガイ・フォークスの記念祭ですが、子供たちが作成した彼に見立てた案山子のようなものを焼いて(火あぶりにして)、爆発物への見立てなのでしょう、花火を狂ったように打ち上げまくるわけです。

 こんな祭りを大々的にやって、宗教上のトラブルは起こらないのか?カトリック信者が怒ったりしないのかというような私の質問に対して、同僚は「いいんじゃない、カトリックの子もガイ・フォークスの祭りは大好きだよ、がはは」との気楽な返事でした。まあ、おおらかに受け入れられているということなんでしょうな。

 マルチナショナル(多国籍)、マルチ宗教の英国でこそのおおらかさかもしれません。ガイ・フォークスの祭りだけでなく、日本じゃ許されないような各国の国民性に関するブラックジョークもかれらは平気ですね。あまりに多くの国民がごちゃ混ぜになり、宗教も考え方もさまざまで、「いちいち目くじら立ててたらきりないやん」ということで、相互許容の不文律があるのかもしれません。ここいらの微妙な感覚はわたしにはわからないです。

 または、区別(違い)と差別に明確な分岐点を持ってるような気もします。いろいろな宗教があることを当然として英国社会が認容している確固とした自信があるので、「違い」を高らかに叫んでも差別として捉えられないというような。

 別例を挙げれば、日本では、健常児と明らかに違うM君も、できるだけ健常児と同じように、100m走を走り、舞台で踊るようなことをしますが、根底には障害児だからといってメニューを変えることは差別ではないかというような感覚があるのではないかと思うのです。「みんなと一緒にスタート地点に行くところまで行けましたよ(そのあとは先生2人でゴールまで引きづりましたが)、良かったですよー」とか言われ続けてきた訳ですが、健常児と同じメニューに固執することがM君の教育上意味があったのかなぁ。英国の学校では、M君の障害特性(自閉傾向の程度、発達遅滞の程度)に合わせてメニューを変えることに全く抵抗がないようです。逆にM君が健常児と違うことを各種専門家が徹底的に診断して(明確に区別して)、文章化して親もそれに署名する。そして、その「違い」に合わせた教育カリキュラムが行われます。

 文化の違いが、季節のイベントにも、教育にも、現れてくるということでしょうか。最後はちょっと、こじつけっぽいですが。

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No.17 冬のドーバ海峡、シンプルライフ〔H18.1.3〕
 英国のカントリーサイドには「フットパス」と呼ばれる散歩道がたくさんあります。カラフルなアウトドアルックの老若男女が楽しげに歩いているような写真が、旅行雑誌などの表紙を飾っています が、そんな中で、どうしても行ってみたいなぁと思う風景がありました。
 目がくらむような断崖絶壁。そのすぐ横を「フットパス」がうねうねとどこまでもつづく。風に巻かれたらおちてしまうがな、というような危うさ。断崖は真っ白で、その名もホワイトクリフ。あんな「フットパス」で冬の冷たい強風に吹かれ、恐ろしさにくらくらしてみたい。そこで、今年の冬休み、ドーバ海峡ホワイトクリフの崖っぷちに立つコテージ(写真参照、灯台の横)にて1週間すごすことにしました。

 この灯台およびその一帯のホワイトクリフは、ナショナルトラストの管理下で厳しく保存されており、限られた車しか走らず、建物もほとんどなく、ただただ、絶壁とフットパスがあるのみです。柵がないので崖の端まで近寄ることができます。ヨツンバイになって崖を見下ろすと、250メートル下で波が泡立ち、カモメの白が点々と小さく見えます。飛び込みたくなるような衝動が沸き、腹の中からゾワーっとした恐怖を感じます。今までテレビでぼんやりとドラマを見てましたが、二時間ドラマの犯人告白シーンとかで見るような、断崖絶壁での格闘ってのは、実は大変なんですね。
 季節外れのホワイトクリフは人影まばらで、広大な景色の中に我が家族のみ。M君は先頭に立って、どんどん広野を走って行きます。後ろから追っかけていても(顔を見なくても)、M君の笑顔が想像つくような軽快な足取り。遮るもののない低草の高原、フットパスの小道がずーと走っている状況は、M君の大好きなシュチエーション。シンプルそのものです。

 考えればM君にとって日常生活は何と複雑なのでしょう。新聞紙を破いても全く怒られないけど、ウクレレの歌詞本やお姉ちゃんの漫画をびりびりにすると、こっぴどく叱られる。食後にみそ汁や麺類の汁の残りを流しに捨てると「おー、お手伝いしてるやんけ」と賞賛されるのに、開けたばかりの醤油やシャンプーを流しに捨てると、「やめてーー!!」と絶叫される。

 まあ、サラリーマンも同じですな。新しい企画に反対すれば、「挑戦する気力がない」とそしられ、先頭切ってチャレンジすれば「無謀。地に足がついてない」と批判される。とかくこの世は複雑で生きにくい。

 黒い海と白い壁。ただただ広い原っぱと、ただただ目前に続くフットパス。シンプルなシンプルな、英国滞在で最後のホリディライフでした。

 3月ごろには帰国します。皆さんに再会できることが大変に楽しみです。

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