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第44号 平成21年1月1日 |
■目次■ |
・<桟唐戸彫刻> |
【桟唐戸彫刻】 |
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本堂の正面中央にある桟唐戸は、室中ノ間・仏間に入るためのもので、一際目を惹く立派な造りをしています。この両開きの桟唐戸の片方は、丁番で折り畳むことができる二枚一組でできていて、両折(もろおれ)の桟唐戸と呼ばれています。開けきると、間口部一杯が開放となり、しかもコンパクトに戸脇に納まってしまいます。桟唐戸には、仏間に花を手向けるかのような装飾的な彫刻が施されています。ここにあげた彫刻は、桟で縦横に区画された戸の上部に嵌められた花狭間(はなざま)と、最下部の表裏に嵌め込まれた浮彫り彫刻です。 花狭間の菱格子の交点には花、浮彫り彫刻の正面側を花と唐草、背面側を渦に唐草をモチーフとしています。彫刻には各時代の様式があり、建物の建立年代を知る手がかりともなります。
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修理事始 -月岑和尚様の建てられた二つの本堂- |
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玉林院本堂修理事務所より[十九] |
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修理担当 森田 卓郎 |
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6年間の長きに及ぶ玉林院本堂の修理工事も、最終章を迎えています。みなさまのご理解、ご協力によりつつがなく工事を終えようとしています。 |
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その次に、自分の置かれている状況も考えずに、土間に敷瓦を敷こうとする直前の玄関辺りの調査を続けました。玄関は、寺所蔵の建物の間取りを記した最も古い絵図面に描かれてなく、最初から建てられていなかったのではとの解釈もできました。 |
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どうにか、最後の最後になって私の当初の想いは遂げることができました。これからは、再建本堂の修理工事の完結に向けて全力疾走です。 |
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玉林院■逍遙■──(十) |
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幕末維新に消された男〜小出大和守−[後編] | |||
歴史研究家 あさくら ゆう |
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勘定奉行から北町奉行へ
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![]() 小栗上野介(日本肖像大辞典) |
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小出はまさに適任でした。小出は小栗に抜擢された期待に応えるため、自らの領地の高直しを行いました。石高を上げればその分、年貢に反映するにもかかわらず、断行したのは小出に私心がなかったことによるのでしょう。このように、自身の身を削って幕府の財政を立て直すという見本を見せました。 |
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![]() 近藤勇(鳥屋部家蔵、足立区立郷土資料館提供) |
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近藤勇率いる新選組は京都の治安維持部隊で、北町奉行には格好の適材でした。ちょうどそのころ、上司だった小栗上野介は徳川慶喜の叱責を買い、罷免され、知行地に隠棲していたので、いまは小出が抗戦派を支持する唯ひとりとなっていました。それを恭順派が知るところとなり、小出は2月16日に辞職に追い込まれました。 |
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本堂修理委員会だより |
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事務局長 杉原 賢一 | |||
本堂修理工事は完成まで一ヶ月を切り、関係者の動きも活発になっており、いよいよ総仕上げの最終段階に入っております。
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編集後記 |
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◆一年一年と積み重ね、6年。とうとう、竣工の時を迎えようとしています。四百年の命が解体という大手術を受けて、再び四百年、五百年の命を保つことができます。日本で最初の医学校を創った医師曲直瀬道三を祀った寺として…。 |
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