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平成19年8月1日
■目次■

・<玉林院玄関正面頭貫木鼻>
・<修理事始−始まった防災施設工事−> 修理担当 能島 裕美
・<玉林院覚え書き 玉林院所蔵の絵画−その一> 海老根 聰郎
・<本堂修理委員会だより> 事務局長 杉原 賢一
・<編集後記>
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玉林院玄関正面頭貫木鼻

   
   

 大きな本堂に導き入れるための玄関は、小柄ながら随所が彫刻によって飾られています。鎌倉時代に禅の教えとともに中国から伝えられた、禅宗様とよばれる建築様式に則った端正なつくりの中に、彫刻は彩りを添えています。頭貫木鼻とは、柱と柱の頭を繋ぐ横架材の装飾的な端部のことで、外郭線がうねるような曲線で構成され、その中に渦が線彫りされたものが一般的です。しかしこの渦は時代とともに派手やかな渦彫刻となるものもあらわれ、桃山時代ともなると花鳥を題材とした浮彫り彫刻を施すことも盛んとなりました。玉林院のこの木鼻彫刻もその流れにそったものといえましょう。

     
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修理事始 −始まった防災施設工事−

   
 

玉林院本堂修理事務所より[十五]

 

修理担当 能島 裕美


 春に前年度工事が終わってからのしばらくの間、修理事務所では今年度工事発注の事務手続きを行っています。今年度分の工事発注が進んでいる間、修復現場は工事の音のない静まりかえった日が続いています(写真1)。


写真1:八割方葺き上がった本堂 檜皮葺の様子
(平成19年7月撮影)


 さて、今夏から本堂・玄関の修復にともなって、本堂・玄関そして南明庵及び茶室(蓑庵・霞床席)を火災から守るための防災設備(消火設備)を設置する事業が新たにはじまりました。今回ははじまった玉林院の防災施設の設置工事の内容についてお知らせしたいと思います。
 文化財の建物を永く後世につたえていくためには、建物自体の老朽化等による破損箇所を適切に修復すること(今回のような数百年周期で行われる根本的な大規模修理や、短い周期で行う部分的な小修理)、建物の老朽化や破損が早く進行しないように日々継続的に行う維持管理(日常の掃除、定期的に風を通して湿気を防止する、屋根の腐朽の原因になる降り積もった落ち葉の除去など)と同時に、火災や地震・落雷などの災害から建物を守る対策をしておくことも重要です。修復工事でも耐震診断によって地震時の本堂・玄関の構造的な弱点を明らかにし、その弱点を補い耐震性能を向上させる構造補強を行いますし、落雷に対応するために修理前から設けられていた避雷針を新しい屋根に設置しなおします。
 火災は日常生活の中で発生することもあれば、地震・落雷などの二次的災害によるものなど、発生の可能性が高く、また文化財の建物の多くは主に木材や紙など可燃性の材料で出来ているため、火の燃え広がりが早く、人・文化財両方に大きな被害を与えかねません。そこで火災への備えとして、火災への警戒、火災の進行の阻止と二種類の設備が必要になります。
 まず火災への警戒については、文化財指定の建物の場合、建物のどこかで火の手があがった時、いち早く察知して被害を最小限に食い止めるための自動火災報知設備の設置が消防法によって義務化されています。玉林院でも本堂・玄関、南明庵と茶室をはじめ文化財に隣接する建物には修復工事前から自動火災報知設備が設されています。
次の火災の進行を阻止する設備、水等によって火を消す、火災の拡大を防ぐ消火設備の新設が、今夏、玉林院ではじまる防災施設事業です。
 今回の修復で本堂・玄関の屋根葺材料が不燃性の瓦・銅板から檜皮・こけら板の植物性材料に復原されました。その結果、例えば近隣で火が上がった場合は風に舞った火粉が屋根に飛来し、その火が屋根葺材料に移って燃え広がるといった外部からの類焼の危険性が格段にあがったことになります。これまで瓦葺・銅板葺の時には、主に建物内部の火災に対応する屋内消火栓が設置されていたのですが、今後はより手厚く、素早く外部の火気からも建物を防御するための設備が必要になります。


写真2:放水銃からの放水の様子
外部から放水するため建物周囲に空き地が必要です。
写真提供:大森設計事務所


写真3:屋根に設置されたドレンチャーからの水煙に包まれる檜皮葺建物(重文 清水寺仁王門)
写真提供:(株)織部設備工業


 そこで万が一に備え、本堂・玄関の大きな屋根全体に水を噴射し消火・類焼防止をする消火設備を設置します。建物全体を目標にした消火設備には、外部から建物をねらって水を放射する放水銃(写真2)、屋根面に取付けたノズルから放射する水で建物を包むドレンチャー(写真3)の二種類が一般的です。玉林院本堂・玄関の場合、周囲には余地が少ない一方、庭木が多く、屋根自体が大きく高いため、機器の位置設定等に難行が予想される放水銃方式よりドレンチャー方式が有効と判断されました。本堂と廊下棟の屋根面に放水ノズル42機を設置することによって、玄関を含めた屋根全体をくまなく水で覆う計画です。そして、これまで個別の消火設備がなかった南明庵・茶室には放水銃1機が、建物内部での火災に対応するために本堂周辺に屋内消火栓4機が設置されます。これらの放水機器の他に、50分間の大量放水に十分な水量をあらかじめ貯めておく貯水槽、境内各所の放水機器まで水を送るためのポンプ、ポンプを格納するポンプ室、その他必要な配管や操作機器・電気設備の建設・設置を行うのが防災施設設置事業の全体像で、期間は平成19〜20年度を予定しています。今年度は本堂の屋根まわりと内部に設けるドレンチャー配管を行います。そして来年度、修復現場の素屋根や修理事務所のプレハブなど仮設物を撤去した後に、貯水槽・ポンプ室建設をはじめ、配管工事・電気工事などを行うことになります。なお、防災施設の事業は、設計監理を大森設計事務所、施工を(株)織部設備工業が担当されます。

     
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玉林院覚え書き

   
  玉林院所蔵の絵画 − その一  

東京芸術大学名誉教授 海老根 聰郎


 玉林院にある絵画といえば、狩野探幽一門によって描かれた本堂の襖絵がもっともよく知られている。しかし同院には、あまり世に聞こえてはいないが、その外、掛幅の、日本、韓国、中国の興味深い作品が保存されている。これから数回、この中からいくつかの作品を選んで紹介しようと考えている。
 昭和8年(1933)、恩賜京都博物館(現在の京都国立博物館)で大徳寺名宝展覧会が開かれ、その時の記念に『大徳寺名宝集』という図録が出版されている。その中に五点の玉林院所蔵の書画が掲載されている。絵画が三点、書蹟が二点である。この五点の作品が、当時の主催者と寺側とで、玉林院の重要な作品と考えたのであろう。現在でもこれらは秀れた作品である。そこで三幅の絵画の内、まず「阿弥陀如来図」の紹介から始める。


 この阿弥陀如来図は国の重要文化財に指定され、色々な美術書に取りあげられたり、大きな展覧会にも出品されていて、襖絵以外の玉林院の絵画の中でもっとも知られたものだろう。
 しかし、この作品については近年、今までと異なった二つのことが言われだした。一つは作品の国籍の問題である。これまで中国の元時代の作品と考えられていたが、ここ20年程の朝鮮半島絵画の研究が進んだ現在では、高麗王朝(918〜1392年)の末期、十三世紀末から十四世紀はじめ頃に制作されたと考えられるようになった。もっとも作品自体には、高麗画と判定する銘記、落款(サイン)、印章などがあるわけではないし、他に記録とか言い伝えが残されているわけでもないが、独特な色彩の使い方、金泥の文様、構図、様式(画の描き方・スタイル)がよく似ている他の確かな高麗仏画との比較から、この作品も中国画ではなく、高麗時代の仏教絵画と考えられるようになったのである。


 今までの意見と違ったもう一つは、従来この仏像は釈迦如来と考えられてきた。文化財指定の名称も、これまでの展覧会カタログ、美術書にもそのように記したものが多い。しかし最近の研究では、阿弥陀如来と考えられている。その仏像が誰を描いたものか決定するのは、印相(手の形)とか、持ち物によるが、この図の手の結び方は阿弥陀だと考えられているのである。ところで、高麗仏画は、現在百点以上の遺品が確認されているが、その大部分、特に質の高い作例が、この阿弥陀如来図のように日本の寺院に収蔵されている。これらはおそらく、古く十六、七世紀に日本に将来されたと推測されているが、収集の具体的事情などは明らかではない。
 それでは、この阿弥陀如来像を含んだ、高麗仏画の特色はどのようなものだろうか。それを一言でいえば、仏、菩薩などの仏教尊像が、極端なほど美しく装飾的に描かれているというところにあるだろう。阿弥陀も観音も地蔵も、朱色を中心とした華やかな衣服をまとい、その衣の表面が、金泥や胡粉(白)の細かい文様で埋め尽くされているのである。


 玉林院の阿弥陀如来を見てみよう。宝玉や蓮華、つないだ小玉などで美々しく飾られた台座上に白い縁どりをもつ緑の衣を着し、その上に思い切った原色の赤の太衣を着し、阿弥陀はゆったりと坐している。そしてその衣服は、金泥の丸文、唐草文、その外多彩な彩色の文様で埋めつくされているのである。
 同じ時代の中国仏教絵画は、宋時代以後、人間化の方向へと向かっていくのが大きな流れである。現実にはいない、人間界を超えた仏、菩薩が、逆に人間的な表情をもち、自然な背景の中におかれる。本来、超現実的な存在のはずの仏教尊像が、現実的に自然に描かれるようになっていくのである。
 これに対して高麗仏画は逆の方向に、以前の状態にもどろうとしている。玉林院の阿弥陀で観察したように、尊像を極端にまで飾りたて、この世の存在ではない、聖像として表現しようとしているのである。
 このような表現、仏、菩薩を華やかに装飾的に飾りたてるのは、どんな思想、考えに基づいているのだろうか。それはおそらく、そうした行為は、造寺、造仏と同じく功徳であり、作善であるとする考えであろう。
 高麗王朝は、仏教を開国以来厚く保護した王朝として知られている。玉林院のこの阿弥陀如来画像は、当時の華やかな仏教絵画の質の高さの面影を今に伝える貴重な作品である。

     
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本堂修理委員会だより

   
 

事務局長 杉原 賢一
 玉林院の本堂解体修理工事は、お陰様で順調に進み、いよいよ終盤に入り仕上げの段階に差し掛かってまいりました。
 本来の檜皮葺工事は、すでに屋根の80%が檜皮で覆われるところまで進んでおり、この秋には葺き上げが終わり、あと棟瓦を積み上げれば完成するところまで来ております。
 玄関の方は近く着工の予定で、同じく檜皮で葺き上げた後、棟瓦を積み上げて、来年3月までに完成する見込です。
 本堂東側の廊下・聴呼の間は、屋根の野棟木・床板張り等木部が終わっており、近く柿での葺き上げ工事が始まり、棟石を積み上げ、玄関と同じく来年3月までに完了の予定となっています。(古い記録によれば、柿葺となっていたので、今回の復原も柿で葺くことになったものです)
 次いで、いよいよ内部の組立・修理・復原にかかります。まず本堂の構造が現在の建築の基準から見ると、耐震性不足となっていますので、建物本体を損なわないように床下と天井上で構造補強工事が行われます。その上で仏間廻りの復原と広縁などの入り側縁の縁板張りに取りかかります。さらに壁工事、表具工事、電気工事なども併せて進め、内装工事も急ピッチですすんでまいります。
 屋根が葺き上がり次第、本堂を覆っている素屋根をはじめ仮設物は、遅くとも来年3月末までにすべて解体撤去する予定になっています。早ければ来春の彼岸には、大きな本堂の檜皮屋根を目の当たりにすることになると期待できます。
 これを受け修理工事はいよいよ内装面を中心に最終仕上げの段階に入り、来年末の完成を待つばかりになります。
 なお、東司の方は、来年中頃より年末にかけ、東北の角地に新設される予定です。

 防災設備(ドレンチャー方式=屋根面散水)工事の方は、7月着工、平成21年3月竣工を前提に、本堂解体修理工事の進捗とともに本格化してまいります。
 防災工事の総額は5000万円と変わりませんが、補助金率は当初の80%から、最終的には本体工事と同じく75%に変更されております。結果的に自己負担分が、1000万円から1250万円に、250万円増加することになりました。

 他方寄付金の方ですが、残念ながら前号の報告からほとんど増加しておりません。即ち檀信徒関係5200万円、お茶関係4000万円、お寺・保育園関係3000万円の計1億2200万円となっております。これに大口の特別寄付金500万円とお寺自身の負担金3000万円を加えますと、総計で1億5700万円となり、6月末現在で目標まであと300万円の未達となっています。
 ご関係の皆様方のこれまでのご支援・ご協力に対しまして、改めまして心より厚く、深く御礼申し上げます。
 事務局では、寄付金の3百万円の未達に加え、防災設備工事の1250万円、さらに植木の移設、仮本堂の撤去、完成後の境内の整備等に伴う諸費用負担をどうするか、次々と頭の痛い問題に直面しております。

 多額の寄付金を頂戴しておきながら、これ以上のご無理なお願いはしにくい所ですが、前述の状況をご理解賜りまして、今一段のご支援・ご協力を賜ることができますならば望外の喜びでございます。せめて当初の寄付金の未達分300万円だけは、なんとかしなければと念じております。何分のご配慮を賜らんことを心よりお願い申し上げる次第でございます。

 ご支援を賜れます場合には、下記にお振込をいただきますようお願いいたします。 

京都銀行 紫野支店
普通預金 437758
名義人:宗教法人玉林院 代表役員 森 義昭

 
     
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編集後記

   
 

◆韓国の慶州美術館長が、当院に伝わる釈迦如来像(韓国では、阿弥陀如来像)との対面の様子をNHKの特別番組でご覧になった方もいらっしゃることと思います。
◆本堂修理前のお彼岸にご披露いたしましたが、完成後にもそのような機会をつくりたいと思っています。
◆とにかく、一日も早い完成が待たれるこのごろです。
◆仮本堂で仏様たちが、4度目の夏をお迎えになります。風通し良くしているのですが、プレハブの暑さのためか、お顔が黒くなられました。仏様たちに、「大変でしょうがもうしばらくご辛抱を願います。」と、祈っている毎日です。
<画>

 
     
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