第37号

平成18年8月1日
■目次■

・<清風> 玉林院住職 森 幹盛
・<修理事始−檜皮葺(ひわだぶき)−> 修理担当 能島 裕美
・<お寺の味−大徳寺納豆> 安藤 寿和子
・<本堂修理委員会だより> 事務局長 杉原 賢一
・<編集後記>
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清風 

   
 
墨跡 先住 森宗秋
 

 今年も早半年が過ぎ猛暑の季節となりましたが皆様には如何お過ごしでしょうか。
 例年ですと色づき始める梅の実が、ほとんど実をつけませんでした。七月十六日の洞雲会月釜に先住が必ず使っていた底紅の白木槿もまだのようです。
 椿の花も時期がずれていたようです。これも文化財工事の影響でしょうか。いささか疲れが出たようです。
 先日、第五十一回仏教保育関西地区研修会で、講師のパネルシアター創案者で寺院住職の古宇田亮順先生の実技を久しぶりに拝見しました。想えば初めて先生の話を聞かせていただいたのは先住が園長の時と記憶しております。一時は何人かの職員と協同で教材作品を手がけた事も懐かしい思い出です。パネル絵を少しずつ動かせて8ミリフィルムに収め動画製作もはじめましたがその後多忙にまぎれて立ち消えとなっております。先住時代に寄進いただき現在は休眠状態の「龍の子文庫」の活動の一部として復活していただけるご協力者がおられたらと願っております。
 お年寄りと呼ばれる仲間に入り日常現実に振り回され、つい気力も萎えがちになりますが、よい意味での欲望は持ち続けたいものです。少なくとも工事の先がみえるまでは。

玉林院住職 森 幹盛

     
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修理事始 −檜皮葺(ひわだぶき)−

   
 

玉林院本堂修理事務所より[十二]

 

修理担当 能島 裕美


 今年は、晴れの猛烈に暑い日が続き本格的な夏到来かと思えば、また雨の日が続くといった具合で、いっこうに梅雨の明ける気配がありません。修復現場の素屋根の中も、スコールのような土砂降りの時には、修復半ばの建物まで降り込んでくる雨をよけるため急いでビニールシートを広げることもしばしばです。

 修復工事の現況をお知らせします。本堂・玄関ともに屋根下地まで組み上がりました(写真一)。復原により増築する廊下棟は、柱や桁といった建物の骨組(軸組)が組上がった状態です。引き続き今年度(平成十八年度)は、廊下棟の小屋組(屋根の骨組)の組立、本堂・玄関の屋根葺工事を進める予定です。
 玉林院本堂・玄関は屋根を檜皮葺に、廊下棟の屋根はこけら葺に復原します。解体した本堂・玄関の屋根裏では部材と部材の間に落込んだ檜の皮がたくさん見つかりました(写真二)。これらはのちに屋根が桟瓦葺と銅板葺に改造される前、江戸時代に何度か行われた屋根葺替の時に落ちた古い檜皮のくずで、かつて檜皮葺であったことを物語っています。


(左)写真一:屋根下地まで完成(平成18年6月末撮影)
(右)写真二:部材の隙間に落ち込んだ檜皮くず

 現代建築で屋根といえば、一般的なのは瓦葺、金属板葺などでしょうか。この場合、屋根葺材は瓦、金属板など工業製品の材料ですが、日本では古来から木の板や皮、茅・葦・藁といった草の茎や葉など植物性材料が建物の屋根葺材料に使われてきました。中でも檜の剥いだ表皮を使う檜皮葺、椹などの木材を割って作った薄い板を使うこけら葺は他の国の建築ではあまり例のない、日本建築特有の屋根葺工法で、日本の伝統建築の特長である優しい柔らかな曲線の屋根は檜皮葺・こけら葺によってその特質が最も発揮されるといっても過言ではありません。気になる耐久性は建物周囲の環境や材料の質、葺き方の仕様などにより一概にはいえませんが、通常檜皮葺で三十年、こけら葺では二十年程度の葺替周期といわれています。なお桟瓦葺では五十年程度で葺替が必要といわれています。
 檜皮葺の屋根は次のような構造で出来上がっています。まず、屋根の軒先に「軒付」という檜皮を厚く積上げた部分をつくります(写真三)。檜皮葺の建物を見ると、この軒付の厚さで屋根の一番上まで葺き上がっているように思われる方もあるかと思いますが、本当に皮が分厚く積み重ねているのは軒先の部分だけです。玉林院本堂の軒付は二重軒付といって軒付を二段につくったもので、下軒付・上軒付合わせて一尺二寸(約三十六p)ものせいのある立派な軒付です。軒付に使う皮は、檜皮を細く割いて細長い三角にこしらえます。この細い皮を重ねては竹釘で留めていきます(写真四)。この作業を繰り返し所定の高さまで積上げた後、軒付の端をきれいに切り揃えて完成です。前年度工事では本堂の軒付が終了しました(写真五)。


写真三:軒付の断面(平成18年6月末撮影)

(左)写真四:施工中の軒付 檜皮を積んで竹釘で留める
(右)写真五:完成した軒付(平成18年6月末撮影)

 今年度とりかかることになる軒先以外の屋根面(平葺部)は軒付の上端から始まって、屋根下地の上におよそ7.5p程度の厚さに、皮を重ね並べ葺き上げます。こちらの葺地に使うのは長さ二尺五寸(約75p)、幅五寸(15p)、厚さ五厘(約1.5o)にこしらえた皮です。この皮を四分(約1.2p)づつずらして重ね竹釘でとめていくことによって連続した平滑な屋根面をつくっていきます。二尺五寸の皮を四分ずつずらして重ねていくわけですから、平葺部分は断面にすると六十二枚の皮が重なって出来ていることになります。

     
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玉林院逍遙──(六)

   
  お寺の味−大徳寺納豆  

取材・文 安藤 寿和子

 ひと粒の中に鄙と雅が混じり合う、大徳寺納豆。
 素朴にして複雑に奥深い味わいは、豆と麦が風や天日の恵みと、作る人の手塩を受けながら和らぎ、熟れ、ほぐれて、また固まるといった時の中で醸される、滋味、妙味のひと雫。中国の帰化僧から、その製法を習い受けた一休和尚が伝え、広めたところから、一休納豆とも呼ばれています。その工程は同じでも、年により、また作り手により少しずつ味わいが異なるのも、興深いところ。 玉林院でも代々の住職が、夏が来るごとに作り続けてきたお寺の味があります。
 今回は、その作りかたを取材しました。

平成17年8月5日 [粉まぶし〜室入れ]
まずは下準備!お天気をうかがいつつ、今年も、いざ!


豆を大桶へ移して、まぜて、取り分けて。

 境内のセミの声も一段とヒートアップする炎暑の朝、大徳寺納豆作りがスタート。まずは、前日に茹でてザルにあげておいた大豆を大きな桶へ。桶の中にはあらかじめ、はったい粉(麦粉)とタネ麹を入れておきます。豆を入れるやいなや、大きくかきまぜ、粉をまぶしてゆくご住職。手早く、やさしく、豆ひと粒ひと粒に、はったい粉と麹の衣を着せてゆくような作業です。


炎暑の中淡々と進む作業に、納豆作りもまた作務のひとつであることを教えられます。

 豆がサラサラ、コロコロとしてくると、それを「麹蓋」と呼ばれる浅い木箱へ。この麹蓋、かなり長い間使い込まれているようで、あちこちに修繕の跡がいっぱい。よく見ると、穴の継ぎ当てに書き損じの水塔婆などが使われていたりして、代々のご住職の質実なご様子が偲ばれます。このあたりから、奥さまも参加。阿吽の呼吸で、十五kgほどの豆が見る見る、十五、六個の麹蓋に取り分けられました。
 これにムシロをかぶせ「室」(といっても、玉林院の場合、「室」に見立てた小部屋などを利用)で発酵させるまでが第一段階です。発酵期間は約三〜四日。豆の様子、匂いを目安にしながら、良い菌をつけ麹を育てる、大切な工程です。豆全体に、ふわあっと細い糸のような、白い菌がつくのが理想。この間、戻り梅雨などがあると発酵が進まず、またあまりに暑すぎるのも、いけないとか。機械で温度管理されている室と違い、急ごしらえの「簡易室」なれば、苦労もひとしお。毎日空模様をうかがいつつ、時によればヒーターを入れたり、風を通したり。気骨の折れる期間であるようです。

平成17年8月9日 [室出し〜塩水仕込み]
豆・麦・麹。それぞれが古桶の中で溶け合って─。


豆の入った麹蓋を積み重ね、ムシロをかけて3〜4日。

 立秋を迎えた、とはいうものの、やはりジリジリと暑いお盆前。墓参の人々もちらほらと訪れはじめる中、いよいよ「室出し」。豆は四日前のサラサラ状態とはずいぶん様子が変わり、一面に菌の傘を被っています。
 それぞれの麹蓋で発酵した豆を、麹菌ごと杓もじでこそげながら、煮沸した塩水を張った大桶へ。まずは味噌くらいの状態になったところに、さらに塩水を注ぎ入れてまぜると、一旦、味噌風になった豆はジャブジャブのドロドロに。それはまるで泥水のようで、これが本当に、あの大徳寺納豆に?といった様相です。そして次は、このドロドロ豆液(?)を三つの桶に分け、天日のもとで熟成させてゆきます。


発酵が進み過ぎそうな時には、麹蓋を井ゲタに積み替え、風通しを高めます。

8月9日〜約20日間 [熟成]
天日のもとでまぜて、まぜて。雨が降ったら、大慌て。


豆は菌とともに、煮沸した塩水を張った大桶へ。

 塩水に仕込んでからの約二十日間は、大徳寺納豆作りの工程のうちでも、もっとも手間のかかる段階。ただ天日に晒して乾燥させるのでなく、熟成の環境を整える、というのが難所です。日に何度もまぜるのはもちろん、気候に応じて、桶に蓋をしたり、ムシロをかけたり、乾燥しすぎるようなら塩水を足したり―。

 なかでも大敵は夕立。雨水が桶に入ると熟成途中の納豆が台なしになるので、この間は外出もままならず、始終空とにらめっこ。それでも急にポツン―、と来たら、洗濯物は放り出しても、大急ぎで豆の桶を軒下へ移しムシロでしっかり覆う―、というのが、この時期の鉄則なのだそうです。
 こうして日を追うごとに、はじめはジャブドロだった桶の中も景色が変わり、杓子でかきまぜる手応えも重くなってゆきます。不思議なことに、同じ条件で世話をする三つの桶でありながら、その熟成の足並みは同じでなく、また、完成した時の納豆の味も、それぞれに微妙に違うのだとか。桶の中では、今年の豆と麦、麹が仕事をするだけでなく、長年のうちに桶に染み付いた菌や、もろもろの成分までもが染み出し、その寺に受け継がれる妙味を作りあげてゆくのでしょう。


味噌のような風合いになったところへ、さらに塩水を足してドロドロに。

8月末〜約1ヶ月 [天日干し]
自然の恵みを小さなひと粒にみっしりと詰め込んで。


3つの桶に分け、天日のもとで熟成。

 豆をまぜる手応えも、いよいよ重くなり、半乾きの状態になれば、納豆を桶から取り出し、最後の仕上げの天日干しにかかります。風と天日の力を借りて、豆ひと粒ひと粒に、ギュッと風味を閉じ込める期間です。ここまでの手間入りなればこそ、甘く辛く酸っぱく渋く、小さな豆粒の中に驚くほどの味わいを隠し持つ、禅の寺の納豆となるのでしょう。桶の底に残った豆のかけらや粉も、味噌にしたり、柚子に詰めて柚餅子にしたりと、すべてをありがたく使いきります。

 暑い盛りに仕込み始めた豆が黒光りする納豆になる頃には、季節も移り、はや彼岸過ぎ。お寺の夕暮れも日に日に早くなってゆくのです。

     
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本堂修理委員会だより

   
 

事務局長 杉原 賢一
 前号でもご報告いたしましたように、修理工事は予定期間の折り返し点を過ぎ、計画通り完成に向かって順調に推移しています。
 本堂大屋根は、檜皮葺(ひわだぶき)に復原するための檜皮の最初の工程として、軒付(のきづけ・三十六センチ)が完了、今後屋根面に檜皮が葺かれていきます。計画によれば今年度中に、檜皮屋根の屋根面積の七十%を葺き上げ、両妻の登り軒付を積み上げますので、檜皮屋根の全体像が見えるようになります。

 本堂東面に接続する復原廊下・聴呼の間の地下調査も完了し、旧廊下の礎石据付け位置などの確認作業も済み、新たに礎石を据付け、柱・桁(けた)・梁(はり)よりなる軸組みの組み立ても終了しました。こちらも今年度中には屋根の骨組み、内部の造作を行い荒壁も付けられ、ほぼ形が出来上がります。来年度には柿(こけら)による屋根葺きをして完成する予定になっています。一方、内装面の建具・襖の修理も分割して行っておりますし、その他本堂内部の竹ノ節欄間・板欄間の復原も並行して行っております。

 お陰様で、本堂修理工事の細部まではともかく、大まかな部分については、今年度から来年度にかけて順次完成していくものと期待できるところまで来ています。
 他方、寄付金の方は、七月中旬現在、一億二千三百万円になっており、ご関係の皆様方に心より深く感謝しております。
 檀信徒の皆様方の寄付金は、同時点で目標五千万円に対し、約二百万円の未達になっており、もう一歩のところまで来ております。引き続きご支援・ご協力賜りますよう重ねてお願い申し上げます。ご支援賜れます場合には、下記にお振込みいただきますようお願いいたします。 

京都銀行 紫野支店
普通預金 437758
名義人:宗教法人玉林院 代表役員 森 義昭

 
     
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編集後記

   
 

◆三十五号〈冬号〉の編集後記を覚えていらっしゃいますか?大徳寺納豆の取材をして頂いたので『次号』(?)をお楽しみに!と、書いてあったことを・・・薄ら寒い中での春号の編集。どうも、季節はずれの感あり。と、今号に変更いたしました。記事がないとお叱りを受けましたが(?)に免じてお許しください。
◆今年も玉林院の味が出せるよう頑張ります。秋彼岸に間に合えば、法要にお越しの方にわずかではありますが、ご笑味頂きたいと考えております。
◆暑さ厳しい折、ご自愛ください。(俄)

 
     
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