第28号

平成16年1月1日
■目次■

・<三才並泰昌> 玉林院住職 森 幹盛
・<解体事始−本堂修理スタッフ勢ぞろい−> 修理担当 森田 卓郎
・<南明庵及び蓑庵・霞床席の土壁の色彩> 廣川美子
・<編集後記>
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三才並泰昌

   
 
干支色紙下絵 森 宗秋
 

 昨年は、先住宗秋和尚の長年の悲願であった、重要文化財本堂修理事業が多くの方々のお力によりようやく目に見えるかたちで進み始めた一年でした。
 先住の干支の色紙下絵が何枚か残っております。24年前のもの、あるいはそれ以前のでしょうか。下絵は作っておくから、色づけや仕上げは皆にお願いしたいとの遺志か。
 修理事業の仕上げが無事円上しますように。そして、さらに多くの方々のご参加お願いいたします。
 あいかわらず厭な事件のニュースがきこえます。ことしこそ「天、地、人」三才そろって安らかに盛える天下泰平の年となりますよう祈念いたします。

玉林院住職 森 幹盛

     
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解体事始 −本堂修理スタッフ勢ぞろい−

   
 

玉林院本堂修理事務所より[五]

 

修理担当 森田 卓郎


 この10月に、本堂修理のための設計監理をする事務所2人と実際に本堂を修理する堂宮大工さん4人からなるスタッフ全員が勢ぞろいし、現場も活気づいています。

 事務所には工事主任の私と主任補佐の能島裕美の両名が、大工さんたちの解体のスピードにあたふたしながら、真っ黒になって本堂の調査記録をとっています。
 大工さんの棟梁は、すばらしい技と豊富な修理経験をもった兼子昇さんです。本堂修理の解体・木材加工・組立の一切を取り仕切ってもらっています。父親のもとでの大工修業を終えて、阿波の鳴門から道具箱一丁かついで桟橋を渡ってより修理の世界で腕をふるっています。能を演じるなどの余芸も達者で、経験談からはいろいろな楽しい話がとびだし、周囲をよく笑わせてくれます。

 棟梁のもとには、久保田正昭さん、山口保広さん、原永治さんの3人がいます。
 久保田さんは讃岐の生まれで、修理の世界で活躍されていた伯父さんのもとで修業してよりこの道一筋となりました。穏やかな物腰で棟梁を補佐してもらっています。ただ一人タバコを吸うので、肩身の狭いおもいをしているようです。
 山口さんは、飛騨の生まれで勉強途中大工を志し、奈良薬師寺の伽藍復興工事にも携わり京都に来ました。ものを書くことが大好きで、さらに日々体を鍛えることを怠らず、現場にもバーベル・鉄アレイ・野球具が常備されていて休憩時間に汗を流しています。
 原さんは、京都府の堂宮大工さんの中では一番若く、まだかろうじて20代の若者です。生まれがタイ国という国際人で、大工になりたくてこの道にとびこみました。先輩たちに暖かく尻をたたかれながらも明るく応え、経験を一つ一つ積み重ねているところです。

 玉林院本堂の修理工事は、このようなスタッフでいま解体の真っ最中です。

     
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玉林院逍遙──(一)

   
  南明庵及び蓑庵・霞床席の土壁の色彩
─蛍光X線分析装置による土壁の発色元素の調査報告─
 

名古屋市立大学大学院芸術工学研究科 教授 廣川 美子

 はじめに、大徳寺玉林院の南明庵及び茶室(蓑庵、霞床席)の土壁について、壁博士山田幸一先生著「日本の壁」(駸々堂、昭和57年5月)及び「重要文化財玉林院南明庵及び茶室修理工事報告書」(京都府教育委員会、昭和55年2月)を引用する。

 玉林院南明庵及び茶室は、寛保2年(1742年)、第八世大竜和尚に帰依した大坂の豪商鴻池了瑛が、祖先山中鹿之助の位牌堂を方丈の北側に営み南明庵と名付け、それを挟む形で東側に霞床席、西側に蓑庵を造った。いずれも表千家七代如心斎の好みである。南明庵仏堂を中心に純草庵茶室と書院風茶室を配置しているが、伝いの犬走りに敷きつめられた赤楽焼の平瓦の存在も相俟って、数ある当代数奇屋建築の中でも秀逸である。
 南明庵─土壁は上塗が大阪土で仕上られており、仏間前東半間の土壁の額の掛かっている部分が当初の土壁の色を残していると考えられる。
 蓑庵─三畳中板の平面を持つ規矩にかなった草庵茶室であるが、その壁は赤褐色大阪土系の引摺り状粗面を地とし、その上に長さ10cm内外の藁を置いたものであり、その藁は床ノ間内部も含めて内壁にくまなく分布している。長すさ壁の早い例として妙喜庵待庵があるが、そこでの長すさは荒壁用の切藁がおのずと表面に現れ出た素朴さがあり、地肌もまた荒壁の素地そのままで、初期草庵の典型である。しかし蓑庵では肌は粗面といいながら土は明らかに赤色を帯び、藁は壁面を彩る装飾として扱われており、草庵茶室の風格を維持しつつ、壁面に極度の芸術性を結晶させたと考えられる。「蓑」庵の名も、おそらく壁面に豊かな藁をかぶせたところからおそらくでたものであろう。
 霞床席─八畳の広間で床ノ間に違い棚風の棚を設けているのがこの席の特徴である。棚と床ノ間奥壁の間は少し開いており、この間に軸を掛ける。軸は常に富士山の絵を用い、前の棚を霞に見立てるので、この席の名があり、全体は書院風にしつらえられている。その中で柱を面皮とし、床框と付鴨居に半割の竹を用い、さらに小壁を土壁としたところに、書院の格式と草庵の洒脱との見事な融合を見る。この種の早い例が桂離宮殿舎であったが、ここではその傾向が一層徹底している。霞床席の小壁は、創建当初から土壁であったことは判明しているが、過去何回も塗替がくり返されており、オリジナルの仕上はすでに失われていたので、昭和54年修理では聚楽土水ごねで仕上られた。色土は現在では入手が困難な本場の聚楽土で、仕上りの肌は桂離宮で見た切返し仕舞より細かい。戦前の京都の町家ではそれほど珍しい存在ではなかったのであるが、いまこれだけの上塗を得ることは稀である。なお塗替に当ってはちり廻りその他、現在考えられる左官の最高の技法が駆使されたことは桂離宮修理と同じである。

 さて、我々は従来より伝統的建築物の土壁の色彩とその表面性状についての調査を行なってきたが、今回玉林院御住職の御厚意により、このようにすばらしい南明庵及び茶室(蓑庵、霞床席)の土壁についての蛍光X線分析装置による発色元素の測定、デジタル顕微鏡による表面性状の撮影及び色彩色差計による色彩の測定を行なう機会を得た。玉林院の土壁はいずれも高い技術と美を追求したものであるが、今回は南明庵内壁東半間(額の掛かっている部分)、蓑庵茶室内部土壁、霞床席小壁の調査を行なった。その結果を差込に示す。
 本報告は速報であり分析はこれからであるが、差込に、玉林院南明庵及び茶室(蓑庵、霞床席)の土壁の蛍光X線分析装置による発色元素の分析結果、デジタル顕微鏡による表面性状の撮影写真及び色彩色差計による測色結果を示す。
 測定は、蓑庵については平成15年8月29日、9月22日、南明庵及び霞床席については9月22日に行なった。
 なお、我々が分析に使用しているエネルギー分散型蛍光X線分析装置(以後、蛍光X線分析装置と称す)とは試料にX線を照射することによって発生する二次X線(これを蛍光X線と呼んでいる)を分析し試料を構成している元素や含有量を調べる装置である。この装置はマグネシウム(12Mg)〜ウラン(92U)までの元素の含有量を%(百分の一)〜ppm(百万分の一)のオーダーまでの測定が可能である。固体、紛体、液体等様々な形態の試料を非破壊で、前処理なしで迅速に測定でき、最近、小型で現場へ装置を持ち込みその場で測定できる装置も出てきたため幅広い分野の元素分析に利用されているが、我々の研究室の分析装置はこの可搬型の小型のタイプのものである。
 デジタル顕微鏡を用いて、倍率を25倍、50倍、100倍及び175倍に設定し、土壁の表面状態を撮影した。

差込別紙を表示

 今回は、建築関係者から注目を受けている玉林院の南明庵及び蓑庵の壁を、最新の測定器を持ち込んで科学的に調査下さいました。調査研究の結果については、機会を作ってご寄稿をお願いしたいと考えております。

■ひろかわよしこ■
名古屋市立大学大学院芸術工学研究科教授。
京都大学工学博士。
専門は建築環境工学、建築環境心理学。
壁博士として著名な故山田幸一氏の要請で行った京都島原角屋の土壁の測定を契機に、伝統的な建築物の土壁の色彩を科学的調査解明したその研究は、各方面より注目を浴びています。

     
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編集後記

   
 

◆先住の奥様は、91歳になられました。耳も聞こえなくなり、以前のようには動けませんが身のまわりのことはご自分でなさっております。奥様にとって何よりうれしいことは本堂修理の話題です。工事のことを尋ねると満面にほほえみを浮かべ、「ありがとうございます。先住の願いでした」としっかりとした口調で答えてくださいます。今も先住とともに歩んでいるのでしょう。
工事が始まって丸1年。編集子も想いは同じです。(畫)

 
     
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